お遍路2巡目とかもろもろ

お遍路2巡目、区切り打ち行ってきました。
今回は1巡目と同じく、徳島分の1~23番札所まで。道中色々な出会いがあり、やはりお遍路は面白いなぁ楽しいなぁと思い返してます。1巡目が深刻な感じで回っていたのとは逆に、今回はわりと純粋に旅を楽しめたなという印象もあります。もちろん自問自答も多かったけど。

2巡目の区切り2回目は予定通りGWに行ってきます!今回は室戸岬を超えてたぶん須崎あたりまでかなぁ。天気が良いといいのですが。

2巡目の旅日記も勿論書く予定なのですが、その形を検討中でして…。
というのも、このブログからお遍路日記の部分だけを抜き出して別のブログにしようかなと考えてます。その大元となる簡単なポータル的なWEBサイトも作って、いま書いているお遍路マンガや、趣味の風景画とかも併せて載せる、と。まあ要するに、自分の趣味の旅要素をうまく抜き出した新しいアカウントおよびプラットフォームを整えたいなということなんです。旅先で出会った人に自己紹介するとき用のポートフォリオ的な意味合いもあります。

正直、ゲイ関連の記事もとくべつに何か更新したいネタがあるわけでもないし。書いたとしてもなんだか暗い自問自答系の記事ばかりで(笑) もはや最近は読み返してもないけど、ゲイとしての半生振り返り記事を載せる場、という意義もありがたいことにもう不要になってると自分では思ってます。

というわけで、まだ確定ではないですが、おそらくこのブログ自体は更新停止にします。お遍路記事のみ独立させて、その新しいブログでは主に旅関連のことを書いていこうかなと。まあそちらもお遍路以外にネタがあんまりなさそうなので更新頻度を上げようとは思ってませんけどね~。

そのへんの移行&作成には時間がかかるので、お遍路2巡目の旅日記の更新はしばらくお待ちください(^^)/

ではでは。


追伸:
感想メールをくださった方、ありがとうございました!お返事しようと思ったらなぜかメール送れなかったので、こちらに書いておきます^^。またどうぞ御贔屓に、よろしく。


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二度目のお遍路へ

先週末、お遍路で知り合った超高速マルさん(この日とかこの日とか)と二年ぶりに会ってきた。いまは自分の住むところの近くの県に住んでいて、遊びに行きますと一年前に一度メールのやりとりはしてたんだけど、今回時間が出来たからふと連絡してみたら先方がちょうど暇だったというラッキー。

で、めちゃくちゃ楽しかった。

お遍路の話から、登山の話、それぞれの近況など話は尽きず。色々と奢ってくれたり泊めてもらったりご飯用意してくれたりして、感謝しかない。そういえばお遍路の時も何度かごちそうになった。本当にいい人だなぁ。

あの時は2日にわたって会ったとはいえ、実際に喋った時間はせいぜい5,6時間くらい。今回は一日中構ってもらってたので、あの時よりも長い時間過ごすことができた、と考えるとなんだか不思議な感じ。また登山しにいこうよと誘ってもらってる。縁はまだまだ続く。大切にしよう。


自分が結願してからのこの二年間、ほとんど毎日お遍路のことを考えてしまう、ほかの旅と違ってお遍路って影響力が大きいですよね、と話していたら、君は四国に呼ばれてるね(笑)と言われた。

さすが、3回いっているだけのことはある、かなり図星だった。


同じ旅をなぞることはしたくない、だから歩き遍路は二回目はやらない、と思っていたけど、それって行かないための単なる言い訳に過ぎないなと。本心は……終わったあの時から変わらず、もう一度行きたくて仕方ないんだよな。できることなら通し打ちで…

趣味ではまっている長距離登山も、知らない街へのロングドライブも、車中泊も、全部お遍路の妥協案。自分をごまかしているのだ。

一つだけ…制御するのなら、歩き遍路の2回目は、今描いている漫画を描き切ってからにしようとは思った。思い出を上書きしてしまったら、まったく違う内容の漫画になってしまうような気がして。でも、それも結局言い訳だよな。いま、行きたいと思ってしまっている以上、今がその行くべき時なんだと。


そのあとマルさんからメールが届いた。
四国は呼ばれて行くもんだ、呼ばれたのなら素直に従うのがいいんじゃない?
いつか分からないけど自分は行きます。

四国に「呼ばれる」、その若干スピリチュアルな危うさを持つけれど経験者ならその微妙なニュアンスが分かる表現。たしかに、僕はあの時呼ばれたからお遍路に行ったし、今もまた、呼ばれている…。それは欲望を通すための安易な大義名分なのかもしれないけど、きっと行けばまた何かがあるはず。


あの土佐久礼でノせられて50kmまで歩いたように、今回もまたノせられているような気もする。でも、その背中を押す手を僕はこの2年間ずっと待っていたように思う。


というわけで、行ってきます。歩き遍路2巡目。
ちょうど仕事が暇な時期なので、無理言って平日一週間ドーンと休暇をもらった。はじめはドライブで四国に遊びに行こうと思っていたけど、変更して歩き遍路へ。土日含めて9日間で行けるところまで。気分次第だけど、GWもその続きをやるつもり。

きっと歩いてもまた、さらに歩きたい気持ちは膨れるだろう。この「お四国病」は一生治らないんだろうな。でも、一生この病と付き合っていくのも悪くない、かな。


そういえば同じく遍路仲間のリク君は春からスペインのサンチャゴ巡礼に行くらしい。すごいな。がんばれ!



父親を追っている

男性が好きというよりも、父親を追い求めているのかもしれないなと、最近思う。


自分はゲイ界隈では「フケ専」と自称している。老けた人、といっても中年~60代くらいだけど、年上の人が好きである。同年代の人にはあまり興味が向かないので、ゲイトークでありがちな一方通行の超悲しい学園ロマンス体験談はもっぱら先生相手の話に終始する。同年代で好きになる人もたいてい老け顔とか精神的に大人な人である。

でも、単純に年上がタイプだ、というよりも、そこに「父親」を投影しているんじゃなかろうか、と思うようになってきた。


職場にいる父性溢れる上司のことをストーカー気味についつい視姦してしまうし、鋭意執筆中の漫画に登場するおじさんキャラを興奮気味に描いては自分で抜いているし(ウソ)、素敵なおじさん5人がわちゃわちゃするドラマ某プレーヤーズもガン見していたし、光石研さんは本当にかわいくて作中で来ていたボーダーのセーターと白ワイシャツを来冬は買うつもりである。なんか無印とかにありそうなシンプルさだけど店頭には無かった。ドラマの製作者は登場人物の服装一覧とメーカーを開示していただきたい。


でですね、好きになるタイプの男性に共通するのは、その包容力や父性、やさしさ、知識、などなどが挙げられる。そしてこれはまんま実父にリンクしているのである。

自分の父親は人間が出来ていて(出来すぎているようにも思う)、他人の悪口はほぼ聞いたことがないし、降りかかる災難は受け入れるし、感情的に落ち着いているし、思考力や知識も豊富だ。すぐに話を一般論化するのが玉にキズだが、そういう話は自分は寧ろ好きだし、そうした思考ができる人を尊敬するし、おそらくそれもまた、父親を求めているのだろう。


いまの自分がやっていること、なりたいと思う人間像の多くの部分を、実父の人間像が占めている。恐ろしいほどに影響力が大きい。きっと理想形になってしまっている。

そしてまた、その姿を他人の大人の男性にも無意識に求めてしまっている。

最近年上の大人に対してイライラすることがあるなぁと気づいて、何にイライラしているのか考えた。大人のくせに他人の悪口ばかり言う、大人のくせにコンビニで買った揚げ物やスナックを食べる、大人のくせに読書をしようとしない、大人のくせに酒で荒れる。
実父だったらやらないことをやっている大人に対して何故か怒っているのである。このことを友人に話すと「他人はお父さんじゃないよ(笑)」とたしなめられた。

そういう状況下にあって、ある程度実父度を満たしている大人に対しては、好きという感情を抱くようだ。


どこかで父親を求めている。自立した大人になった自分だけど、それでも何か抱きしめられたい、包み込まれたい欲望。肉体的に、あるいは精神的に自分より大きな何かを求める。被支配欲。幼児退行的感情。
そう考えたとき、自分ははたして「男が好き」なのだろうかと疑問に思う。「父性が好き」の方が的確な表現なのではないか。妥協の結果として男が好きになっているだけなのではないか。


なぜ世の男性に父親を投影してしまうのか、その理由を考えるというのは野暮なことではあるが、少しだけ。

父親に足りなかったものを探すならば、イケメンじゃないこと(失礼)や、いわゆる男性性が弱いことだろうか。男性性が弱いというのは、いわゆる男性中心の仕組みや競争社会、根性、力、といったものが無い、あるいは苦手である、ということである。そしてそれは自分にもそのまま受け継がれている、って精神科の臨床心理士が言ってた。
その反動として、いかつくて男らしさ溢れる野球部の監督なんかも好きになるわけですね、はい。

ただ、前述したとおり、父親は温厚なので幼少期に父にかわいがってもらえなくてその結果父性をいまだ求めている、というようなことはない。ではかわいがってもらいすぎてそれに未だに依存したいと思ってるかというと、別にそうでもなくて、わりと突っぱねられて育てられたフシもある。

だから結局父性を未だになぜ求めているか、というのはよく分からない。
末っ子だからかな。


そういえば、小さいころ寝る前に父の上に乗っかってキスしまくっていた。よく考えるとあれはディープキスだったのであって、当時すごく迷惑がっていた父もその後息子がゲイだと知った時にあのことを思い出してたもかもしれないな、としみじみ思った。



恋と憧れ

ノンケって、男性に対してどのような感情を持つんだろう。

スポーツ選手や俳優にはかっこいいと思うだろうし、博識な人にはすごいなぁと思うだろう。いわゆる「憧れ」という感情だけど、その憧れっつーのは、いったいどこまでの感情なのか。僕はノンケじゃないからわからない。

ゲイも勿論男性に対して広く憧れの気持ちは抱く。でも、その憧れと恋の感情が交じり合って絡み合って…どこまでが憧れなのか、どこからが恋心なのか、分からなくなること、当事者ならあるんじゃないかな。

僕は、このブログの記事で(ずいぶん昔の記事になってしまった)、大学生3回生になるまで恋愛感情のことを憧れだと勘違いしていた。そのせいでゲイ自認がかなり遅れてしまったのだけど、まあいい、そのくらい憧れと恋心とは曖昧になり得るという例。


恋について考えてみる。

ゲイにとっての男性、つまりノンケにとっての女性は、どういう存在なのか。どういう対象なのか。女性にも憧れはもちろん抱くだろう。でもその憧れの延長線上に恋愛感情があるかというとちょっと違うんじゃないかと思う。憧れの気持ちは、結婚したり付き合ったりしてからの、相手に対する尊敬の気持ちや思いやりとしては存在するだろうけど、それは恋による胸の高まりとは直結はしないんじゃないか。

ゲイの場合は、憧れの人の髪型、体型に近づけることができるし、同じ服を着ることもできる。


一般論より僕の話をしたほうがいい。
僕は、正直憧れと恋がめちゃくちゃ交じり合っていると自覚している。年上好きというのがその最たるものだ。
あんな渋い大人になりたい。博識になりたい。やさしくなりたい。かっこいい服を着こなしたい。世界を知りたい…

そういうもの、自分が持っていないものを持っている、大人らしい大人に対して、僕は憧れるし、恋をする。これまで好きになったひとは、ノンケ・ゲイを問わずみんなそんな人たちだ。


いや、何が気になるかというと、ノンケが男性に憧れた場合、その感情はどうなっていくのかということ。恋はしないだろう。なにか冷静に、客観的にその人のすごさだけを見れるんだろうか。

憧れと恋、正直いって、分離したい。あの人はすごい、ああいうふうになりたいと思うことはよくあるけど、それが論理的ではなく単に恋してるだけだとしたら、それは単なる盲目である。


男女ほど近づけないわけじゃないのもまた、メリットでありデメリットでもある。男同士なら憧れ=恋の人と友達感覚で過ごすことができるし、二人きりで飲みにいくこともできる。でも、結局近づけば近づくほどに、心の奥底では繋がれていないむなしさが積み上がってゆく。

憧れの人について語っているとき、ふと周囲との温度差を感じることがある。きっと、彼らはなぜ僕がそこまでアツくなっているだと、言わないにしろ感じ取っているだろう。そして僕もまた、一人空回りしている自分がなさけなくなる。

でもしょうがないのだ。これは恋なんだから。


男と男、男と女。ゲイノンケ関係なく恋することって同じだよ☆と啓蒙ポスターは教えてくれた。けど、たぶん、それは同じじゃない。


自分にないものを持つ者、これからもきっとそういう人を好きになり、憧れ、また好きになっていくんだろうな。


noteでお遍路漫画公開してます

以前、お遍路の漫画を描いてるよ~という記事を書きましたが、リンク先がTwitterだと漫画そのものが見にくいし探しにくいなと思いまして、noteで公開することにしました。それに伴って、その記事は削除して、今回別途書いてます。

note(ノート)

上記リンク(note)に、マガジンとして各話まとめてますんで、たぶん読みやすいと思います。今日現在で第3話まで公開してますが一応4話分までできてます。それも数日後には公開する予定。さらに、第5話も鋭意作成中!

描いてみて感じたんですが、漫画描くのってめちゃくちゃ体力いりますね…。経験をもとにしてるとはいえ、どこを取捨選択するか、構成はどうするか、人物のデザインから自分が描けるポーズなのかどうかの見極め。ただの事実の羅列にはならないようにはしてますが、実際はなかなか難しいです。
でもやっぱり線画描いて、ベタ塗ってトーン貼って、完成が近づくとすごく充実感があります。

月イチペースが限界なので、このブログに公開してる全ストーリーを終わるのにはやっぱり数年はかかりそうです。気長にお待ちください(^^♪

あ、区切りのいいタイミングで印刷して同人誌即売会に参加するつもりではいます。その際はぜひ、応援よろしくお願いします!!


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