煩悩遍路B日目「修行の道場を前にして」―発心の道場―

B日目

あれから1週間が経った。
ぼくは再び徳島の地に戻ってきていた。
お遍路、再開である。




遡ること1週間、徳島一国参りを終え帰省したぼくは、
健康的に日焼けし、しっかり喋れ、表情を作れるようになっていた。
そんなぼくを見て、両親も少し安心したようだった。
しばらくは実家で疲れた身体を休めよう。

ん?…歩きたいぞ。歩きたい!!!
身体が疼く。
飽きたと思っていたお遍路も、いやはや、離れてみれば翌日からまたやりたくなっていた。

実家附近の旧道を1時間くらい歩いてごまかしてみたりしたけど、
それでもお遍路熱はつのるばかり。



数日後、実家から下宿先に戻り、病院へ行った。
医者からは、苦にならないのであればお遍路もOK、ただし無理しすぎないように、とのことだった。
そんなら、と、翌日から早速四国へと向かうことにした。

前回の区切りで不要と思ったものは荷物から外し、必要と思ったものは追加。
ザックへのパッキングの仕方も変更してみた。



5月31日。いざ、四国へ向かう。
さーて出掛けるか、と思ったとき、帽子が無いことに気付いた。

たしかに持って帰ったはずだ。部屋の中に無いはずはない。
座布団の下、物置の中、ザックの中、探したけど出て来ない。
電車の発車時間は迫っている。やむを得ず、帽子無しで出発した。
帽子のあるなしでは体力の消耗に大きな差が出てしまう…が、仕方ない。

このことが、のちにぼくの煩悩を増やすきっかけになるとは知る由もなかった―。



大阪までは電車で行き、そこからバスに乗り換え、
前回のお遍路の終了地点である日和佐まで向かう。
大阪での待ち時間に、近くのアウトドアショップをウロウロしていたら
若い男性の店員さんに声をかけられた。

「わ、お遍路ですか?」
「そうです、区切りですけど、明日から再出発でして」
「私も数年前に通しでお遍路、行きましたよ~云々」

(中略)

「お遍路してるとぎょうさんお接待もらいますよね~」
「ですよね~、ぼくも果物とか飴とか大量にもらったりして、嬉しいんだけど重かったりして」
「思いは重いですよねェ」
「・・・。お兄さんオモロイこと言いますね~さすが関西人ですわ」
「・・・えーとお客さん、何か買い足しときたいものないですか、アンダーウェアとか」
「大丈夫です」

とまあ、大阪のどまんなかで大きなザックと金剛杖を持ってウロチョロしてると超恥ずかしいが、
こうした良い出会いもあって、なかなかどうして、人生何が起こるかわからないのである。



バスに揺られ、夕方にようやく徳島・日和佐に到着。
ふたたび薬王寺温泉で身体をほぐし、道の駅Hでテントで野泊。

同じく野宿の徳島在住の歩き遍路のおじさんと、近所のアマチュア無線好きのおじさんと
夜遅くまでダベることになった。
立場とか年齢とか気にしなくていい会話は楽だ。

といってもさすがに眠い。明日からのためにも早く寝たいのだが…。
結局日付が変わる頃にようやく就寝。



テントの中で、会社のことがふと頭に浮かぶ。
こんな休んでて良いのだろうか。
1ヶ月後にはちゃんと回復してるのだろうか。
休職の事務手続きはうまくできただろうか。
今後どう生きていこうか。

先のことを考えると途端に不安感に襲われた。
まだ、鬱状態は治ってはいないようだ。

もう四国に来てしまっているのだ。会社のことなんて考えても意味が無い。
綺麗サッパリ忘れて、明日からお遍路に集中しよう。たくさん歩こう。
薬は4週間分ある。行ける所まで行ってみようじゃないか。


その日は風が強く、テントの布がバサバサと音を立て、何度も起こされた。
徳島での最後の夜が更けてゆく。


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煩悩遍路7日目「結果論でもいいじゃないか」―発心の道場―

「ふぁ~おはようございます」
布団という贅沢な寝床から、朝6時に清々しい起床。ほどよい筋肉痛。

食堂にはすでに朝ごはんが用意されていた。
ああ、朝から栄養満点の食事ができる幸せ(しかも自分で用意しなくても!)。
「おかわりお願いしま~す!」の声が複数人から挙がる。


今日もサブさんと行動を共にするが、それは途中まで。
彼は10Kmほど歩いたあと由岐駅~日和佐駅まで電車に乗るそうだ。
そこで23番薬王寺を打った後、ふたたび電車・バスを利用して室戸岬までワープする。

なんせ、23番薬王寺から24番最御崎寺までは80Kmもあるのだ…。
徒歩2~3日はかかるこの道のりを交通機関で省略する人は少なくない。


というわけで、2時間半の道のりを共に歩く。
道中、カニに注意!の看板に笑ったり、苔むしたコンクリートの壁の落書きを読んだりした。
変に気負わず、でも馴れ馴れしすぎない、居心地のよい会話。
鳥のさえずり、そよかぜ、木々の音がBGM。

由岐駅にて、お別れの時がきた。
無事に27番神峯寺まで着いて、結願できますように!
連絡先、交換しとけばよかったな。



また、一人になった。



「ざざぁ・・・」

海だ!ついに海に出た!
波の音、潮の香り。

徳島県の遍路道は、グルッと山側を回るようなルートになっているため、
意外なことに海を見るのはここが初めてとなる。

「津波注意」の看板がポツポツと現れ始めた。


海岸に近い小屋に地元のおばちゃん達が集まっていた。
呼ばれて行ってみると、お接待のために毎週土日に交代制でこうして待っているのだそうだ。
おにぎり、揚げパン、粒の残ったおもち(「半殺し」というらしい)、シュークリーム等々
手作りの品々が並ぶ。充実のラインナップにビビった。

「沢山食べてってね~、残ってもおばちゃん達が太るだけやから」
全種類2つずつ食べさせてもらったうえに、昼ごはん用にと、もう1人分パックにつめてくれた。
恐縮しつつも、この場は、町内のおばちゃん達の井戸端会議的な憩いの場、兼、
お遍路さんへのもてなし(=生きがい)の場としてうまく機能してるんだろうなぁと思ったり。
彼女らの、海のようにおおらかで気さくな笑顔と訛り言葉が印象的だった。



満腹のお腹をかかえ、海岸沿いを歩く。
峠を越えればウミガメの町、日和佐。23番薬王寺に到着だ。

ぼくは悩んでいた。どこまでお遍路を続けるのかを。

通院の関係で、元々与えられた期間は2週間である。
今日でようやく1週間経ったところなので、まだ歩けるし、
がんばれば高知市あたりまでは行けるだろう。


正直、満足している自分がいた。

たくさん歩いた。
思い荷物を持ってでも、毎日歩けることが分かった。
テント泊、善根宿、通夜堂、民宿と一通りの宿泊形態を経験した。
お遍路という文化に触れられた。

一方で、このまま続けるのが嫌だな、と思う自分もいた。
飽きていた。津波が怖かった。ここからの80Kmが面倒くさかった。
鬱特有の無気力状態を凌駕していた遍路熱は、冷め始めていた。

いま、自分は鬱の治療中である。
無理せず、気持ちのままに行動するのがベストだ。

遍路がしたいと思ったから来た。
帰りたいと思うから帰る。

それでいい。



「一国参り」という言葉がある。
今回は、徳島県の全23のお寺を参り切って終了。
おお、キリがいい!

発心の道場・徳島の一国参りが終わりました――。

結果論ではあるが、そういうことにして、今回のお遍路は帰ることに決めた。



昼過ぎに23番薬王寺に到着。また来れますようにとお願いをする。

明日の帰路ために、日和佐から実家までのJR乗車券を駅で購入したのだが、
お店のおじさんの息子さんが、なんとぼくの実家の最寄り駅の近くにむかし住んでたらしい。
通りで、遠くてマイナーで難読な駅名なのにすぐ把握して発券してくれたわけだ。

なにかの縁を感じた。


道の駅の軒下でテントを張る。
1週間のお遍路旅も今日で終わりか~。
歩いた道、出会った人、見た景色が繰り返し脳裏に映し出された。

低い天井を見ながら、ふと思ったことがあった。

今回のお遍路では「意図的に中途半端な状態にしておく」ことで
自分の過剰な完璧主義を改められたらいいなと思っていた。

しかし、結果としては、お遍路全体を考えると「中途半端な終わり方」だが、
一国参りとして考えると「完遂した」のである。
いかにも自分らしい決着の付け方だなぁとちょっと笑ってしまった。

そういう根幹の部分というのは変えようが無いのかもしれないな。
変える必要もない、そうも思えるようになっていた。



続きは、またいつか、歩きたいと思った時に――。

7日目

煩悩遍路6日目「あたりまえはありがたい」―発心の道場―

6日目

今日もいい天気。本当に、天気がいいと気分がいい。

6時過ぎに起きてテントを片付けていると、ヒロさんが来た。
「おはようございます。小屋は寒かったでしょう」
「そうだね、かなり風が強かったけど毛布かぶったから大丈夫だよ」
と言って、ホイ、とアクエリアスを1本くれた。

「順打ちはこれからまだ長いけど、頑張ってね!」

その日、そのアクエリアスを飲むたびにヒロさんのことを思い出した。
単なる商品でも、親しくなった人から頂いたモノは、温もりがあった。
※別に変な意味ではないです。


さて、今日は第二の「へんろころがし」と呼ばれる20番鶴林寺、21番太龍寺を越え、
22番平等寺をゴールとする。約20キロの道のりだけど、山を2つ越えないといけないので
結構えらいらしい。

2日間風呂に入っていないし、ちょっと疲れたので、今夜は民宿に予約を入れた。
それを楽しみに頑張るぞ。


お遍路も6日目ということ、そして昨晩の楽しいひとときがあったことで、
気持ち的には充実してたし、慣れてきていた。
でも、どこか物足りない…そう一緒に長時間歩く「遍路仲間」がまだできていないのだ。

最初の3日間は数人のおじさんと何度か会ったり立ち話はしたけど、その程度で、
いつの間にかトンと見かけなくなっていた。
昨晩一緒にテントを張ったトシさんはだいぶ高齢なので、
おそらくペースも話題も合わないだろう。

今日も一人登山しますかー。



…と思って20分くらい歩いていたら、軽装のおじさんが登っていた。
白衣も菅笠も金剛杖も持っていない。地元の人?

声をかけてみると、歩き遍路だった。70歳(のわりに飄々としてて若く見える)。
昨日は近くの民宿に泊まってたらしい。
ここではサブさんと呼ぶことにする。

サブさんはバスでの遍路ツアーに何度か参加したことがあるが、
よく通っているトレーニングジムの先輩から「歩いてみたらいいよ」と勧められ、
途中から歩きだしたとのこと。

今回は鶴林寺からスタートして、高知県の27番神峰寺まで行く予定で、
そこで結願なんだよ、と言っていた(たしか)。

これまた気さくなおじさんだったので、すっかり仲良くなって、一緒に歩くことに。
しんどい山道も、同行者がいれば喋っているうちにあっという間に登れる。


サブさんはたくさん話をしてくれた。
会社勤め時代の出張で外国に行った時に、日本人の過労や真面目すぎる性格に気づき
価値観が変わったとか、
定年退職後は夫婦生活はなかなかうまくいかない、お互い一緒にいる時間をなるべく少なくするのが
円満の秘訣だよとか(それって円満なのか)、
自分らが働いていたとき(高度経済成長期)と今とは時代が違う、今の若い人は大変だよね、とか。

ぼくは、生まれてこの方「好景気」を知らない、というか経済成長しないのが普通、
と思ってるから、そもそも会社とか社会の上層部と考え方のギャップがあると思うんですよ~
と、ゆとり世代代表みたいなことをとりあえず喋りまくっていたのは覚えてる。
あとは鬱のことも洗いざらい喋った。

サブさんの気を遣わせない雰囲気がすごく心地よかった。
しきりに、ぼくの重たそうな荷物を見て
「君そんな重い荷物でよくこのペースで歩けるねぇ~」と褒めてくれた。



8時にはあっさり20番鶴林寺に到着。標高500m。
名前の通り、鶴の像が本堂の左右に配置されている。
右の鶴はクチバシを開き、左の鶴は閉じていて、ちょうど「あ・うん」になってる。
サブさんはリュックから白衣を取り出し、着ていた。

昨日のヒロさんが言ってたけど、
ここ鶴林寺では白衣に鶴の朱印を押してくれる(もちろん有料)。
そしてどこだったか聞き忘れたけど、別のお寺で亀の朱印を押してくれるところがあるそうで、
2つ合わせて鶴と亀となり、縁起がいい。
…と、ツアーのガイド(先達さん)が言ってるのを聞いたとのこと。

まあ、お寺も色々工夫して儲けようと頑張ってるんだな―と思いましたマル。



お寺自体は山の中にある素晴らしいところで、
蛇口から出てくる山の水もおいしかった。
飲み物は毎度買ってると高くつくので、こうしておいしい水を無料で汲めるのは嬉しい。
そして、そのことを教えてくれた掃除のおばちゃんに感謝。

このあとの行動については、サブさんと特に何も話してなかったのだが、
サブさんから「一緒に歩こうよ」と誘ってもらったので、そうすることにした。
ふふ、ちょっとうれしい。
そして、その夜泊まる民宿もたまたま(というか選択肢が1軒しかないので必然だけど)
一緒だった。
この日に限ってたまたま野宿ではなく民宿を選んだのが吉と出たわけだ。

冒頭に書いたように、
歩き遍路仲間が道中いなくてさみしいし単調だなぁと思ったタイミングで
こういった出会いがあったわけだ。
弘法大師さんの粋な計らいなんだなぁ…と素直な気持ちで感謝する自分がいた。

「旅は道づれってのはこういうことを言うのかもね」とサブさん。
サブさんもなかなか粋なことを言う。



そんなこんなで宿まで一緒に頑張りましょ―と改めて意識を合わせて、下山。
一気に標高40mまで下る。そんでもってまた登り、標高520mの21番太龍寺を目指す。

それでも、木々や川に囲まれた気持ちのいい道、そして話し相手がおり、飽きることはなかった。
話し相手がいるということは、自分と向き合って暗いループに陥らずに済むということだ。

一人のさみしさを経験したからこそ、
他人と一緒にいられることへのありがたさをひしひしと感じる。

途中、道が合ってるかちょっと不安になったとき、
サブさんが地元の人に躊躇せず道を訊ねていた。
ぼくだったら、喋りかける前に一旦躊躇うところだ。
サブさんの肩の力の抜け具合が羨ましかった。



その後も順調に歩き、22番平等寺を打って、すぐそばの民宿Sに到着!
お互いにお疲れ様とたたえあって、それぞれの部屋へと腰を下ろす。



宿は最高だった。

洗濯物を洗える。
2日ぶりに身体の垢を落とし、浴槽で身体を温めてリラックスできる。
床の畳でゴロンできる。
たくさんの種類のおかずを食べられる。
人と話しながら食事できる。
ご飯のおかわりができる!!!

普段の生活ではまったくもって当たり前のことだ。
でも、それが当たり前ではない野宿旅においては、
当たり前のことが当たり前にできる宿という存在は、本当に天国だった。



ちなみにサブさんは洗濯機の使い方が分からないようで(この世代の男性だとありがちなのかな)
教えてあげたらひどく喜んでくれた。

そんなこともあって、食事中はビールをおごってくれた。
「出会えたこと、今日一日共に歩ききれたことに、乾杯!」
「乾杯!お疲れ様です!」



そこには、心がすっかり満たされた自分がいた。
ここまでの日々で色んな形態の宿泊ができたし、たっぷり歩いた。
こうして素敵な出会いもあった。
十分に満足していた。


程良いい疲れとお酒、そしてふっかふかのお布団。
虫・音・足音の不安のない寝場所。
20時半にはもう、ぼくは夢の世界へと吸い込まれていった…。


煩悩遍路5日目「その人の旅となる」―発心の道場―

お寺の朝は早い。
若いイケメンお坊さんが本堂に入り、諸々の準備を始めた。

通夜堂を借りたときは「来た時よりも美しく」「7時までには出発」が鉄則。
そそくさと荷物をまとめ、箒ではわく。
お坊さんにお礼をし、本堂に向かって合掌してから、今日の歩きをスタートした。

実は昨日は下り坂が多かったこともあり、右足の裏にマメができてしまっていたが、
夜のうちに処置(水を抜いて消毒し、絆創膏を貼る)しておいておかげで
今日は順調に歩くことが出来た。

他の歩き遍路の人のなかには、2日目くらいにはもうマメができてしまって大変だった
とかいう人もいたので、ぼくは良い靴(と中敷き)にめぐりあえて良かったなぁと思った。
登山用品店の店員さんに感謝である。



さて、今日のスケジュールだが、
18番恩山寺、19番立江寺と打って、20番鶴林寺の先か手前まで進もうと考えていた。
恩山寺までには徳島市内を通るルートと眉山の西側の地蔵院を越えるルートと2つあったが、
市内を歩くのはあまりおもしろくなさそうだったので地蔵越ルートを選んだ。

近くに学校があるのか、児童からの「おはようございます!」のオンパレード。
お遍路さんに会ったら挨拶しましょう、と教えられているのだろう。

今日もお接待を頂いた。
お寺にて、おばあちゃんからオロナミンC、饅頭(大量に)、飴。
遍路道沿いの家から出てきたおばちゃんから、手作りのティッシュカバー。

相変わらず歩き遍路にはあまり会わない(逆打ち遍路とは数人すれ違った)が、
こうした地元の人との触れ合いで心がほぐされていく。
遍路5日目にして、体力が付いてきて調子がいいのも関係しているのかも。



「人生即遍路」
お遍路をしているとよく目にする言葉だ。
ひとり歩いていると、なんとなく、その意味するところが分かるような気がする。

「旧道を復元した気持ちのいい道です」「近道です」といった甘い誘惑につられて
看板の示す方へ進んでみると実際はひどい山道で、大変な目にあったり、
上り道もあれば下り道もあったり、案外上り道の方が楽チンだったり、
ルートや行動手段は人それぞれだったり、
お寺が離れていると単調だったり、逆に密集しているとお参りや納経で忙しかったり、
ひとりで歩いているんだけど、キツくなったタイミングで誰かが声をかけてくれて
物心両面で助かって、ひとりなのにひとりじゃないと感じたり。

そんなことを考えながら、県道をずっと歩いていた。



けっこういいペースで歩いたと思うが、時間的に20番鶴林寺は無理だ(山の上にあるから)と
判断し、手前の道の駅Hにて今日は歩き終えることにした。
9~10時間歩いて、これまでで最長の30数キロ!
ちょっと嬉しかった。



この道の駅の駐車場の隅に、遍路小屋がある。
ここに先客の歩き遍路が2人いたので声をかけてみた。

一人は番外霊場20箇所も廻っているというお遍路3回目のおじいさん(トシさんと呼ぼう)。
もう一人は初めてのお遍路で逆打ちをしているという定年退職したてのおじさん
(ヒロさんと呼ぼう)。
ちなみにヒロさんは気さくな人で、ちょっとタイプだった。

トシさん
「はじめてお遍路したときは、乗り物に絶対乗らない&一人で歩く!と頑なだったけど、
2回目、3回目では電車も乗るし、車のお接待も受けられるように気持ちが変わったから
楽になったわ。結局、自分で自分をしばってるにすぎんわけよ」

ヒロさん
「野宿メインで歩いてるけど、テントは持ってないから民宿や善根宿にもよく泊まるよ。
旅の情報(特に野宿場所)は予めネットでしっかり調べて地図に書き込んできたし、
全日程のスケジュールも大体立ててから来たんだよ。
もちろんその通りには進んでないけどね(笑)」

ヒロさんには大いに親近感を覚えた。
それまで、野宿する=行き当たりばったり、という印象がずっとあって、
ぼくはどちらかと言うと先々のことを考えて野宿をしていたので
本格的な野宿野郎にはなりきれないと思っていたんだ。

でも、ぼく以外にもヒロさんみたいな「きっちりとした野宿組」もいるんだなって。



ここにきてようやくぼくは気付いた。
旅の中身は人によって違うという当たり前のこと。

野宿歩き遍路旅といっても色んなタイプがあるのだ。

全てテント泊で、自分の力だけで貫く人もいれば、
テント無しで、安宿や善根宿、通夜堂を利用する人もいる。

行き当たりばったりノープランな人もいれば、
しっかりプランを立てる人もいる。

やっているのは「野宿旅」じゃない。「その人の旅」なんだ。

ぼくは、ぼくなりの旅をすればいい。
旅に理想形なんて無いのだ。



その日は、ぼくとトシさんは道の駅の建物の裏、屋根の下にテントを張り、
ヒロさんはふきっさらしの遍路小屋に置いてあった毛布をかぶって寝ることになった。

日暮れ時、買ってきたコンビニ弁当と道の駅のトマトをほうばる。
沈む夕日を見てヒロさんはつぶやいた。
「贅沢な瞬間だよね」


心が満たされること。
満たしてくれる要素は人それぞれだろうけど、
その積み重ねが、「その人の旅」を作り上げていく…。

5日目

煩悩遍路4日目「孤独と罪悪感」―発心の道場―

4日目

「明るく生きろ!」
宿の主人に笑顔で見送られながら、お遍路4日目がはじまった。
重たい荷物、連日の長距離・長時間歩行で、さすがに疲れが溜まっているが、
おかげで夜はぐっすり寝られるので鬱治療にはちょうどいい。



本日は、峠を越え、徳島市内に向かってゆるやかな下り坂を歩き、
徳島市内の17番井戸寺まで行く予定だ。
すだち畑を5月の涼しい風が吹き抜ける。

遠方の山や川、そして青空を眺めながら歩く。
いかに普段の生活で「遠景を見る」機会が少ないかに気付かされる。

カーテンを閉めきった部屋の中で、
PC画面や携帯電話、資料や本とにらめっこする日々だった。
そして退勤するころにはもう夜が景色を覆う。
近景ばかりを見ることと、自分が発症した脳疲労とは、少なからず関係があるのかもな。



素晴らしい景色の中、歩くこと約2時間。
鮎喰川という、これまたとびっきり綺麗な川の橋を渡る。
驚きの透明度!思わず裸足になり、足を浸して休憩した。
冷たくて気持ちいい。

5月のド平日に、こんな最高な場所にいられる幸せ。
ある意味、休職したおかげだよなぁ…。

心境は複雑っちゃ複雑である。
人生万事塞翁が馬。



この日、前日まで数人見かけていた歩き遍路にほとんど出会わなかった。
実は12番焼山寺から13番大日寺まではルートが2つあるので、
他の人は別ルート選んだのかもしれない。
或いは、ちょっと長い距離となるためバスに乗ったか、
前日の時点でぼくよりもう少し先に進んだところの宿に宿泊したかだ。

ただでさえ(言い方が悪いが)過疎化が進んでいるであろう山間部の集落、
車やトラックの往来はあれど、人とはあまり出会わない。
ひとり歩いていると、さみしい。

川沿いの県道にも飽きてきて、
山間部を歩いていたときの幸福感は次第に薄れていった。



途中、立派な遍路小屋があったので、そこで昼休憩とする。
ここには地元の人が用意してくれている飲み物や採れたての柑橘類(種類が分からない)が
冷蔵庫に冷やされており、ご自由にどうぞ、と書かれていた。
宿で頂いたおにぎりと、ここの柑橘類を食べる。
疲れた身体に酸っぱさが染み渡る。

また、市街地まで下ってきて入った駄菓子屋さんでは、注文したたこ焼きを多めに作ってくれ、
さらには冷えた麦茶をぼくのペットボトルに入れてくれた。

なんという親切な地元の人達だろう。普通ならここで、
「お接待を受けていくうちに他人への感謝の気持ちが高まりました!」
とかいう素敵な成長物語になるのだろうが、
ぼくはそれとはベクトルが逆方向の感情が膨らんでいっていた。

「ぼくみたいな信仰心のない歩き遍路がお接待を受けていいのか?」
罪悪感である。



そんな気持ちを抱いたまま、16時半、本日最後のお寺に到着。

境内では近所に住むおばあちゃんから喋りかけられた。
ほぼ毎日お寺に来ているらしい。

「お兄さん若いのに偉いねぇ。ここの通夜堂に泊まっていきなさいよ」
本当は近くの善根宿(なんとシャワーもあるらしい)に泊まろうと思っていたが、
これも何かの縁と思い、通夜堂に泊めてもらうことにした。

納経所にて、若い住職(たぶん)さんに恐る恐る声をかけた。
「歩き遍路なんですが、通夜堂お借りしていいですか…?」
呆気無く許可をいただいた。

そんなこんなで、ぼくはお寺に泊まることに“なってしまった”。



さぁてネガティブ自問自答タイム。
「…いいのか?ぼくがお寺に泊まっても?
ロウソクも線香も読経もお賽銭も割愛してるこのぼくが?」

それくらいしろよ!と言われそうだが、
今回のお遍路はとりあえず「歩いてみたい」だけだったので、仏教的要素は割愛したのだった。
だいたい、仮に読経したとしてもそれは見せかけだけで、心的な中身は伴わないし…。

飲食物のお接待をいただくことに申し訳なく思っている自分。
お寺の通夜堂に泊まることを申し訳なく思っている自分。
一方で寝場所のお接待(つまり善根宿や野宿可能場所)はアテにして旅を計画している自分。
(※野宿は原則として近隣の人の黙認という善意の上に成り立っている)

「自分はまったく都合のいい人間だなぁ」
今朝 山間部を歩いていたときの幸福感は枯渇しそうになっていた。



夕暮れの静かな境内を、若いお坊さん(住職?)が子供を抱いて散歩していた。
ぼくは通夜堂の窓からただ眺めるだけだった。
こういう時こそ、人と話した方が精神衛生上良いことは昨日気付いていたのに。
(※お坊さんはイケメンだったけど僕の好きなタイプではない)

最初の一声を躊躇しているうち、お坊さんの姿は見えなくなっていた。



お寺に夜がやってきた。
二畳間の通夜堂にひとり、無言でコンビニ弁当を食べる。

暗闇に浮かぶ境内の弘法大師像のシルエット(ちょっと怖い)を眺めながら、
毎晩の日課である日記を書いた。

5/19(木)日記より抜粋

「今回、お遍路を少ししてみて、地域住民同士の通い合い、仲の良さ、
そしてそこによそ者(自分)を入れてくれるあたたかさを感じました。
弘法大師さんも、そういうものを感じて歩いていたのですか?
それとも、弘法大師さんの存在が四国の人を、そして四国に来た人をそうさせるのですか?
こんな大した信仰心もなくただ歩いてみたかった者のために尽くしてくれる人、
お接待してくれる人、善根宿を運営してくれている人がいる。本当に申し訳ないです。
いいんでしょうか。“利用”して、いいんでしょうか…?」



「歩き遍路の理想像」を追求する、完璧主義的思考の呪縛はいまだ健在だった。



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