煩悩遍路19日目「やりたいことは辛いこと」―菩提の道場―

朝から雨の予報。
ということで、降る前にテントを撤収!朝の5時には出発。

今にも降り出しそうな曇天の下、黙々と歩くが、どうも左足のいつもと違う部分が痛い。
やっぱり無理してるのかなぁと不安にはなる。



やがて雨が降り出した。

ちょうど道沿いに、モーニングをやっている落ち着いた雰囲気のお店があったので
雨宿りと休憩とブランチついでに寄ってみた。
ホットサンドが冷えた身体にうまい。

今晩の寝場所どうしようかなぁ…
雨だし、こういう日は野宿は避けたい。そこで宇和島にある遍路宿Mに電話してみた。
結果、OKとのこと。当日の急な予約も受け付けてくれる四国。ありがたい。
こうして今晩のお風呂と寝床が確保できた。これだけでも随分と気持ちが違う。



津島町から宇和島市街にひと山越えて抜けるには2ルートある。
一つは国道56号線の松尾トンネルを素直に歩くルート。
もう一つは標高差180mの松尾峠遍路道のルート。

遍路用の地図には、松尾トンネルは全長1,710m、通過所要時間約27分、
車両交通量が多く、トンネル内は排気ガス充満の状態になる、と書かれている。
反対に、松尾峠遍路道は自然満喫の道、とのこと。

雨が降ってるけどそこまで本降りでもないし、
今夜の宿の場所から逆算するに時間的余裕はある、と考えて
僕は遍路道の方を歩くことにした。

この時点で、自分の歩きにちょっとした過信があったと、今では思う。



その遍路道は要するに登山道みたいなもんで、暗い木々の下を歩くことになった。
時折、県道や林道を跨ぐ。

雨が降っていていちいち地図を開くのが億劫なので、道標を頼りに歩く…

しばらくすると、つづら折りのアスファルト舗装の道をずっと進んでいることに気付いた。
どんどん標高も上がっている。そして、道標はしばらく見ていない。

腕時計のコンパスで方向を調べた。
本来ならば全体として北へ向かうべきはずなのに、なんとなく南に向かってしまっている…

これはもしや…

次の道標が見えるまでもう少し歩いてみるか、
それともすぐに引き返して一つ前の道標を確認するか。

雨はすっかり激しくなっていた。
当然こんな山道を通る人も車もまったく姿を見ない。

濡れたスマホの地図アプリを駆使し、現在地を調べる。
どうやらいつの間にか県道46号線に入り込んでいたようだ。
このままでは逆走になってしまって宇和島市街まで行けない。

焦りはもちろんあったけど、なんだかこの迷った30分くらい?が
ものすごくもったいないなと思った。
それ故に、なかなか引き返す決意ができなかった。

結局引き返したのは、県道の道路標識とその先に何があるかが書かれた案内板を見かけた
地点だった。

引き返すこと30分、ようやく道標を発見。
山道→県道を横切る→山道 と行くべきところが、雨で視線が下に向いていたせいか、
気づかずにそのまま県道を進んでしまったようだ。雨の日あるある。



あーあ、雨なんだから、無理せずトンネルルートにすればよかったな。
ま、とにかく正しいルートに帰ってこれて正直かなりホッとした。
雨、山、無人。遭難だなんて、シャレになんないもんな。

自分でまいた種とは言え、なかなかしんどい経験だった。
孤独な遭難も修行…なのかな。

高速道路の高架下で一端雨宿りをする。
このレインウェア、完全に防水機能が失われてるよなぁ…帰ったら新しいのを買おう。
それにしても足の指先が痛い。宿につくまでの辛抱。



ずぶ濡れで夕方に宇和島市街にようやく到着。
商店街にて、歩き遍路発見!スポーティーなおっちゃんだった。
少し話してみたところ、番外札所も廻っているそうだ。ペースは僕のほうが少し速い、のかな。

昼間、ひとりぼっちで遭難しかけただけあって、歩き遍路に会うと途端に元気になった。
名産品のじゃこ天をおやつにひとつ買う。ここも3年前に来たんだよな。



その晩の宿の予約者はぼくひとりだった。
すごく清潔で広々とした宿で、
濡れた靴用の新聞も大量に用意してくれているというサービスっぷり。
いい宿に予約できた。正解。悪いことのあとには良いことがやってくる。

風呂で温まったあとに、部屋で足裏を確認する。
この雨でぐちょぐちょになった靴で山道を歩いたせいか、足の指にマメがどどーんと出来ていた。
お遍路してて一番デカイ規模のマメ、ついに襲来。


やっぱり雨は嫌だ、と思いつつ、マメの水を抜き、消毒して絆創膏を貼る。
処置完了。翌朝にはマシになってますように。

なんとなく足裏の皮も分厚くなってきている気もする。
お遍路再開して10日目。身体にはこれからもどんどん変化が出て来るだろう。
いつまで続けられるか…?



昼間のこと。

雨の中、山を歩いていると、なんでここにいるんだろうという疑問が頭をよぎっていた。
やりたかったことなのに。

でも、即刻帰りたいとは思わない。
辛くてもやりたい。続けたい。

やりたいことと辛いことは、実は表裏一体なのかもしれない。


そして、あの雨を乗り越えた今は、すっかり落ち着いて、
充実感をもって1日を終えようとしているという事実。

なんだかんだ言って、ぼくは歩くことも山も好きなんだろうな。

19日目

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煩悩遍路18日目「菩提入門」―菩提の道場―

18日目(1)


朝、携帯の電話着信が鳴った。

「おはよう、ご飯できたよ、起きてる?」
「(寝坊したぁぁ)おっ起きてますよ??今行きます!」

シロさんの家で朝ごはんをいただく。
寝過ごしたのは、昨晩お酒を飲んだせいということにしておこう。

「さて、どうする?この辺で区切って帰るか、もう少し進むか」
「やっぱり、気持ちの整理もまだついてないし、こんだけお世話になっといて帰るのもなんなんで、
とりあえず松山までは行くことにしました」
「そう、それがいいね(笑)」

一応は今日打つ予定の39番延光寺で、高知県のお寺はコンプリートとなり、キリがいい。
でも、別にスケジュールに追われているわけでもない。
身体はヘトヘトだけど、なんとなく…まだ続行したほうが良い気がしていた。

昨日と今朝、これだけお世話になったのだから、歩きたいと思った。



玄関先まで送ってくれた。
「あそこの道をずっと行けば遍路道に合流するからね」
「松山についたら連絡して」

シロさん、お世話になりました。
また…会えるかどうかわからないけど、この縁は大切にします。



さて、半日ぶりの徒歩。薄曇りの空の下、ひとりで歩く。
車ワープしちゃったから、
先日まで会ったり別れたりしていた歩き遍路仲間ともかなりの距離の差ができてしまっただろう。
そこは寂しい。でも、それはそれ。
また新たな出会いもあるかもしれないと考えを切り替える。



延光寺をすぎると難読で有名?な宿毛市に着く。
ちょっとした田舎の住宅街という感じで、お店もそれなりにありそうだなぁとか思いながら
高台から見下ろしつつ通り過ぎた。

ここからは坂を登り、松尾峠へ。
高知と愛媛の県境。ここから先は、「菩提の道場」。

お遍路の全体の距離的にもだいたい半分くらいの地点。
もう半分。まだ半分。

峠の手前の畑で仕事をしているおっちゃんたちとしばし会話をした。
「○○するろ~」っていう方言が印象に残っている。
「峠は結構きついからがんばれよ」的なことを言われて、力も湧いてくる。



お世辞にも整備されてるとは言えない草ボーボーの山道を登り、峠を越す。
すると急に道幅が広くなり、しっかりとした手すりまで作られてたりして、
各県の遍路道への力の入れ具合が露骨に分かるのが歩いてて妙に面白かった。
やっぱり県境は良い。



峠の先、一本松町というところでひとりのおじいさんと出会った。
この辺にずっっと住んでいるという。

彼は幼いころ見たという昔のお遍路さんの姿を教えてくれた。

毎日托鉢をして、その日のメシ(お米)をもらう。
担いでいる重たい鍋で、川の水を使ってそのお米を炊いて食べていた。
衣類もめったに洗えないから、白衣のはずが茶色く見えた。
そして、橋の下で寝ていた…。

「遍路の本質は修行だ」

「今の時代、修行の要素は薄れてきてるけれど
その日はご飯を食べない、夜通し歩いてみる、托鉢をしてみるなど
一度わざと苦しいことをする日を作ってみてもいいかもしれないね」

「人生は苦労があるからこそ、楽しい。心の筋肉をつけよう」

「88番札所では、歩きで苦労した遍路は泣く。君も泣けるように、がんばりなさい」

「きっとこの遍路は君の人生にとってプラスになるよ…!」



この話を聞いてから先、橋を見るたびにその下で寝る昔の遍路の姿を想像するようになった。
そしていつか、ぼくも橋の下で寝たいとも思った。

そして彼の言う「わざと苦しいことをする日」。
3日前のぼくとリク君の徒歩50km超えはそれに当てはまるだろうか。
もしそうならば、あんな無茶なことをした価値はあったと言える。

と同時に、なんだかハードルが上がってきているようにも思っていた。
でももう、そのハードルを下げるきっかけは持ち合わせていなかった。

そして今日もまた、馬鹿みたいに長距離を歩くことになったのだった。



愛媛の一つめのお寺、40番札所 観自在寺に到着したのは夕方の4時頃。
ここは宿坊があるのだが、特に予約はしていない。

この14kmほど先に日帰り温泉Yがあるからそこまで行くつもりだった。

ちょっと休憩したあと、ラスト3, 4時間に備えて水分補給せねばなと思い、
宿坊のスタッフっぽいおばちゃんに、水道水を分けてもらってもいいですかと尋ねた。

すると、全然そんなつもりじゃなかったのに、
水だけじゃなく、新品のペットボトルのお茶とお菓子をお接待してくれた。
そしてしばし歓談。

「完歩!にこだわらなくていいのよね。
車お接待は弘法大師さんの与えてくれたご縁だからありがたく受ければいいのよ」

「お遍路は出会い。それに尽きる」

「お兄さん、笑顔が素敵よ。笑顔で、頑張らずに、頑張って!」

鬱になってから、表情作るのもしんどかったのになぁ。笑顔になれてるんだなぁ。
いまこうして、自然に笑顔が作れている現実、そうしてくれたお遍路に感謝。

ここでなんとなくだけど、
RPGで道端にいる人に話しかけたり話しかけられたりするとイベントが発生するのが
妙に人生(というか遍路)の本質をついてる!と思い付いて、ひとりで笑っていた。
一本松のおじいさんも、観自在寺のおばちゃんもそう。



さて、元気をいただいたので、あと3時間歩きますか。
おばちゃんからは近くにうどん屋さんがあって、同じ値段で何玉でも食べれるから
ぜひいきなさいとオススメされたのでそこにも寄った。

当然食べすぎた。食い意地張り過ぎである。



ここからの3時間がきつかったのは言うまでもない。今日も40km超を歩くのだ。

超高速マルさんから感染した長距離病という煩悩、
そして、今日おじいさんから言われた「わざと苦しいことをする」。

長時間歩けば手の届く40km。頑張って超えれた50km。
ふつうお遍路は1日30km前後くらいが標準なのに、
すっかりぼくの中で40km超えが基本ノルマと化してしまっていた。



だんだん夕暮れが近づいてくる。

1kmある直線の不気味なトンネルを抜けたころにはもうすっかり日が暮れていた。

温泉はまだか。もう少しのはずなんだけど…通り過ぎちゃったのかなぁ。
時刻は夜の8時。なんでこんな時間、こんな人気のない暗い国道をぼくは歩いているんだろう…

ぶつぶつ言いながらふと遠くに目をやると、薄暗い海辺に明々と光る建物が見えた。
今日の目的地だ。

着いた、というよりも、なんとか辿り着いた、という表現が合っていた。
ぼくはもう床に倒れ込むように建物に入り、温泉でその日の疲れを癒やした。
そして湯上がりのポンジュース。うまい。



その夜はすぐそばのキャンプ場で宿泊。
本当はテントを張るのに300円要るらしいんだけど、遅い時間だからか管理人がおらず、
どうしよっかなーと困ってたら、他の同じくキャンプする一般客の人が声をかけてくれた。

「歩き遍路さんですよね?夕方管理人に電話したら、遅いときは料金は不要らしいですよ」
と教えてくれた。

遍路を見るとさっと声をかけ、さっと助けてくれる四国の人。
本当にありがたかった。



テントの中で今日のこと、これまでのこと、これから松山までのことを考える。

菩提の道場・愛媛県についに来た。
菩提とは煩悩を断って悟りえた無上の境地のことだ。
つまりは愛媛を抜ける頃までには煩悩とおさらばしましょうね、てな解釈。

果たして可能なのだろうか?

たしかに、シロさんという煩悩とは今日でひとまず区切りはついた。
しかし、長距離歩行達成という煩悩がなかなかやっかいだった。


それを断ち切る手段を見つけ、実行する日は、しばらくまた先のこと…。

18日目(2)



煩悩遍路17日目「だからこそ」―修行の道場―

17日目

超快晴で猛暑。今日も今日とて6時から歩き始めた。


黒潮町の山中、日陰もなにもない国道を歩いているとさすがにきつい。
通り掛かる車も少ないし、当然人影も見かけない。

つくづく、地元の人とのなにげない挨拶もパワーになっていたんだなと思う。

自販を見つけ、躊躇うこと無くジュースを購入。
しばらく休んでいると、急に車が停車し、乗っていたお兄さんがカロリーメイトをくれた。
「がんばってください!」

歩き遍路のために常備しているのだろうか…
なんにせよ嬉しすぎる。あーもうだめ!となった時にお接待がいただける。そして頑張れる。



昼前に日本最後の清流に出た。
さすが有名な川だけあって、その景色は壮観。快晴ということもあって気持ちよかった。

ここでシロさんと待ち合わせ。
実は昨日連絡をとっていて、今夜は彼の別邸に泊まらせてもらえることになっていたのだ。

都合つけてもらっての、6日ぶりの対面。
申し訳ない気持ちもあるけど、素直に楽しみだ。

「はるばるここまでよく来たね。このあとどうするの?もうお遍路区切るんだっけ?笑」
「いやーまだ悩んでるんですよ」
「いいよいいよ、明日の朝までに決めればいいんだしね」

とりあえず、完歩にはこだわってない(ということにしている)し、
夜まで時間があるということで、
彼の車で足摺岬まで連れてってもらうことにした。



海沿いのクネクネした道を岬へと進む。
車は速い。毎日歩いてばっかりいると、本当に速く感じる。
足摺岬は通常往復だけで2,3日はかかるのだけど、
ぼくはシロさんの車によってワープさせてもらった。

もし歩いていたら出会ったかもしれない人々、遭遇したかもしれない出来事、
沸き起こったかもしれない感情はきっとある。
でも気にしない。シロさんと過ごし、会話をするこの時間が、何よりも有意義だった。
ぼくはそれを選んだのだし。



はーるばるーきたぜ足摺~
38番札所、金剛福寺に到着。
もし、もう一度歩き遍路をすることがあれば、次回は歩いてたどり着いてみたいとも思う。
と同時に、また縁あって車でくることになるのかもしれないな、とも思った。

そして周辺をぶらぶらした。台風の時期によくTV中継で見る灯台、
そしてまさにそのカメラもあった。

近くに恋人の聖地的なスポットがある。
茶化して「ここ来たことありますか?」聞いてみたところ、彼女と来たよ、とのこと。
「恋が成就するといいですね」と適当に相槌をうった。
正しくないことを応援していることになっているのは分かっていた。



帰りは、歩きでは絶対に通らないであろうスカイラインを走り、その後岬の西側へと抜けた。
シロさんは、道の駅にて新鮮な海産物を買っていた。夕食の材料である。



夕刻、彼の別邸に到着。
午前中しか歩いていないのにかなりの距離を進んだ。なんだか不思議な感覚。

そして、旅で出会い意気投合した人の家に今夜宿泊させてもらうという
非日常感というか非現実的事実。
テンションがあがってくるような、楽しいような、不安なような、複雑な心境が頭を巡る。

とりあえずザックをおろし、シャワーを借り、今日の分の洗濯もさせてもらう。

シロさんはさっそく魚をさばき、夕飯を作り始めていた。
今日は奥さんはいないようだ。

家にはアウトドア、インドア、様々なジャンルの趣味道具や作品がきれいに置いてあった。
あちこちで描いたという絵も見せてもらった。

料理もおいしかった。このところ貧相な食事しかしていないので、むさぼり食った。
ご飯のおかわりの回数は、忘れた。

とにかく多趣味でスキルもすごい。そして恰好良い。
なんだろう、この感じ。スーパーマンと一緒にいる感覚とでも言おうか。

それでも彼はこう言ってくれた。
「気が合うと思ったから一緒に歩いたんだし、家に呼んだんだよ」と。



酒を飲み交わしながら、静かな居間で、2人は人生について語り合う。
あの日、星空の下テントで語った時のように。

彼はいつも言う。
人はどうせ死ぬのだから、いま好きなことをすれば良い、と。
趣味が多いのならばそれを存分に楽しむ。
20年後に「あのときこうすれば……」が無いように。

来年彼は二度目のサンティアゴ巡礼をしに行くようだ。
誘ってくれたけど、そのころぼくはどうしてるんだろう。退職してついていこうか。

「きみは他人からどう見られるかを気にしすぎてるよ。自分で自分を固くしてしまってる。
 どうすれば殻を破れるだろう?思い切ってなにか行動を起こしてみれば、きっかけがあれば…」

「本質ではきみと俺は似てるよ、あとは、殻を破れるかどうかだけ…」



人生をかけてでもやりたいこと、それを決めかねるのならば、
仕事は仕事として割り切ってやって、余暇として、趣味として追求するのもアリだよね、
とは言われた。
でも、休暇とかが融通のきく仕事じゃないとね、とも。

いまの仕事じゃあ、融通きくどころか、満足に休みすらとれないよなぁと愚痴っていた。
休職という立場は、いずれ復職するということだ。
でも本心では、ドーンと辞めて、まさに今みたいに放浪したいと思っている自分がいる。
いや、いまもまさに放浪はしてるんだけどね。



結局のところ、自分の人生は自分で決めるしか無い。
誰から何を言われようとも、それで自分の人生を変えてくれるわけじゃない。

いくらアドバイスをもらっても、彼の人生の出来事を聞いても、
ぼくが決意しなければ何も変わらない。
他人の人生や人生観を参考にしても、それをなぞるだけでは意味がない。
それは自分の人生を歩くことと同義ではない。

自分自身が何を思い、決意し、そして、実行できるか。

転職?放浪?
それともいまの「向いてないと思っている」仕事を続ける?
死んだときにどんな人だったと言われるような人生にしたい?
世間体で無意識に隠してしまっている願望はない?

ひさびさに飲んだお酒で意識が朦朧としてくる。



それでも、シロさんと2人っきりでこうして飲み、語り合うという現実はある。
それだけで、幸せなんじゃないか。

人は生きたいように生きている。

鬱にはなったけど、放浪したいと思ってて、いまこうしてお遍路ができている。
シロさんとまた会いたいと思って、一度は延期になったけど、
いまこうして泊まらせてもらっている。

十分、有意義な若い日々を過ごせてるじゃないか。



「それでもなお」何かひっかかるものがある。
いや、それは「だからこそ」なのかもしれない。

毎日歩き、陽とともに暮らし、野宿し、山々を臨む。
道端に生えている野草・イタドリをかじり、木苺を食べ、湧き水を飲む。

こういった健康で有意義な毎日を送っている現実があるからこそ。
たまに寂しくもなるけど、心から充実しているからこそ。

ぼくは本当はこういった人生を送りたいんだと、心の殻の中から叫び声が聞こえる。
普段は閉じている殻が痛みを伴って開こうとしていた。

いっそのこと開ききったら楽になるのかもしれない。



あの日と同じように、眠りについたのは日付を跨いたあとだった。
 


煩悩遍路16日目「そしてまたひとりになるのだ」―修行の道場―

テントから2人顔をだすと、そこにはまだ昨晩の憎きネコちゃんがいた。
朝飯を喰らいながら、ネコをあやす。
準備をしてガソリンスタンド跡を発ってもしばらくついてきていたがそのうち引き返していった。

ホッとしたと同時に、なんだかかわいそうな気もした。



きょうは6月9日。気づけば二回目の区切り開始から1週間以上経っていた。
このくらい経つとだんだんと人間の思考は摩耗してくるようで、
色々とポジティブというかアバウトに考えられるようになる。

服や荷物が汚れたり濡れたりしてもどうでもいいし、お風呂に入らなくてもどうでもいいし、
ネコに起こされようが、足が痛かろうが、身体が臭かろうが…

…ポジティブとヤケクソの境目は何だろう?
でも、昨日のように、つらい雨の中でしか見られない霧がかった荘厳な山々の景色もあるのだ。



リクくんととりあえず37番岩本寺へと向かう。

道中、「お遍路は人生である」というテーマで大喜利をした。
・雨の日もあれば晴れの日もある
・計画通りにいかない
・出会いと別れがある
・人によってルートや方法が違う
・お金がかかる
・い つ で も や め ら れ る(意味深)
これもまたヤケクソ。2人でめっちゃ笑った。

そんなこんなで昼前に岩本寺到着。
お寺の前でちょっと道に迷ったが、地元のおばちゃんが教えてくれた。
お寺がある町の住民はお遍路に優しく接してくれる…気がする。

誰かが言っていた。
「迷った時は地図を見るな、人に聞け。」
見知らぬ人に尋ねる敷居もすっかり自分の中で低くなった。



リクくんは足のマメの化膿がひどすぎるので、
靴を買い換えるか、病院に行くか、迷っているようだった。
正直、実物を見るとその足でこの先の山々を歩くのは無謀に思えた。

で、結局彼は病院でとりあえず診てもらうことに決めたようで、
近くの窪川駅から四万十の中村駅まで電車ワープしていった。

さよなら、リクくん。
そしてぼくはまたひとりになった。
ああ、連絡先聞くのまた忘れた…

暑い日差しがぼくの顔を焼き付ける。なぜだかそれが心地よく、さみしかった。



コンビニでカツサンドを買い、日陰で昼ごはん。

携帯の電波をONにすると、イタルさんからメールが届いていた。
ちょうどいま、ヤマさんと超高速マルさんと3人で昼ごはん食べてるとのこと。
昨晩は土佐久礼のベッド付き休憩所に泊まったらしい。

2~3時間ほどの距離のズレ。

ぼくのいない所で、ぼくの知っている人達が、新たな交流を持っているということ。
一方でぼくはひとりでこうして歩いていること。

携帯をOFFにして、お遍路はひとり旅なんだぞと虚勢を張って、もくもくと歩く。
左足の足首の痛み、肩に食い込む荷物の重みが無視できなくなってきていた。
ひとりきりになったこの旅、いつまで続けられるのだろうか。



なにもない国道を進んでいると、土佐佐賀温泉Kが見えた。
ちょっと中途半端な時間だったけど、昨晩は野宿だったこともあるし、入浴することに。
スタッフの方が完璧なるお遍路対応をしてくれて、超親切だった。

温泉に隣接する遍路休憩所にてしばし身体を冷まし、足を乾かす。

そういえばマルさんは今晩この温泉に宿泊すると言っていた。
「髭坊主のマルさんという方が泊まると思うので、よろしくお伝えください」と
スタッフに言付けした。
唐揚げとおにぎりのお返しに、ビール一本でも差し入れすればよかったなとあとで思ったけど、
まあいい。



ひとり旅をしつつ、意識は他の遍路仲間に向いている自分。

お遍路はアンビバレンツだ。

ひとりで歩くのが基本だけれども、
必ず地域の人や遍路仲間に助けられ、意識が他人へ向く。
つまり、ひとりで生きることを強いられながら、ひとりでは生きていけないことを知る。

実体験としてこういう状況になっている自分に気づけただけでもお遍路をした意味はある。
そう言い聞かせたあと、温泉を出発した。
マルさんがその直後にニアミスで温泉に到着していたらしいが、
それを知るのはまたしばらく先のこと…。



今日も今日とて日没まで歩く。
再び海が見えた。

灯りの付いているうどん屋さんに吸い込まれるように入る。
今夜はどこで野宿しようかと思いながらうどんを啜っていると
おかみさんが、今夜はどこに泊まるのかと話しかけてきた。

近くでテント泊しようかなと思ってるんですと言うと、それなら、と
すぐそばの公園の東屋が野宿スポットですよと教えてくれた。

こうしてまた、人に助けられるひとり旅。



これまでに出会った遍路仲間のことを思いながら、
蒸し蒸しする海辺の公園で野宿をした。

16日目


「多様性の尊重」に疲れきったこの世界で

先日、アメリカ次期大統領選にドナルド・トランプ氏が当籤した。
彼は選挙演説で、多くの「ヘイト・クライム」を発信した。

アメリカとメキシコとの間に大きな壁を作る
アメリカ在住の違法移民を強制送還する
イスラム教徒の入国を禁止する――

もちろん、彼自身が本当に当籤するとは思ってなかったという噂があるように、
これらの極端な発言はパフォーマンスの一部だった可能性もあるし、
現実的に、政策として実行可能かどうかは…難しいだろう。

それでも、彼はあのように発言し、当籤した。

単純多数決的な意味で言うと
全体の得票数は対抗馬のヒラリー・クリントン氏の方が多かったそうだが、
そういった事実をも凌駕してしまう程度には票を得たということには変わりない。
(選挙制度については詳しくないので置いとく。)

アメリカ国民の少なからぬ数の人間が、トランプ氏を選んだのだ。
少なからぬ人間が、壁を求め、移民を邪魔者扱いし、イスラム教徒を嫌った――

選挙後、アメリカの各地でヘイト・クライムが公然と行われるようになってきているという。
ちらちらネットで見かけた情報をたどるだけでもかなりキツイ感じである。
Make America white again
Go back to Asia ――

大統領選の前後で一般市民の意識が急変したと考えるのは間違いだろう。
おそらく、前々からずっと思ってたけど言えなかったことが、
大統領という国のトップが言ったことにより、言いやすくなっただけのことである。

世界レベルで経済が衰退し、貧困層は増え続ける。
きっと個人レベルでの不平不満が溜まりに溜まっているのだろう。

こうした状況下、その不満の矛先を移民や国外に向けさせる政策をとるのは歴史の必然である。
Make America Great Again  ――

この言葉に希望を抱いた、抱かざるを得なかった国民が一定数いるということ。
日頃の鬱憤を大声で言ってくれるトップを求めているということ。





さて、現代の特にここ最近では、多様性の確保や尊重が高く叫ばれるようになった。
古くは女性参政権、黒人差別の解消、
障害者も不自由なく暮らせるバリアフリーやユニバーサルデザインの推進、
パラリンピックの開催、オリンピックに偏らない報道への変化、
差別用語の禁止。ビジネスマンからビジネスパーソンへ。
LGBTへの偏見の解消、同性婚の制定。

元来、人類は平等である。
文化と社会、無知が差別と偏見を作ってきた。
これからの時代はそれらと決別し、多様性を認め、手を取り合って行きていこう。

多様性の推進、それは一見、生きやすい世界作りのように思える。
しかし、その内実は、どんな発言をも差別、偏見だと捉えられてしまう窮屈な世界である。


日本でセクハラという言葉が普及してから会社で気軽な発言しにくくなったと
世の男性会社員たちが呟いてから久しい。

特にSNS全盛の今では、ちょっとした発言がすぐに炎上し、
その人の専門スキル関係なく人間性が問われ、表舞台から姿を消す。

多様性という飴の背後には鞭がある。
みんな気を遣い、刺激しない発言のみをする。
表現がどんどんしぼんでいく。


一方で経済は悪い。
日本では不景気になってからもう20数年経ち、一向に良くなる兆しは見えない。
むしろ、僕ら「ゆとり世代」と括られる平成世代は、そもそも成長する経済なんて知らない。

拡大する貧困層。格差。
ネットに逃避しても、些細な、ローカルな発言でさえワールドワイドに広がってしまう
ギスギスした社会。
それでも人は、良い人の仮面をかぶって、生きていく。

インバウンド効果で経済回復に期待!どんどん外国人に来てもらおう。
愛に性別なんて関係ない!弊社はLGBTフレンドリーな制度を作ります――





人間の言動の根源ってなんだろう、と考えたことがある。
本を読んだり、人から聞いたりした所、次のような結論に落ち着いた。
好きか、嫌いか、である。
生理的に受け付けるかどうかである。
「男同士がキスなんて寒気がする」
「バリキャリの女性は苦手」
「黒人と同じプールには入りたくない」

それは瞬間的に脳みそに生じる感情であり、制御は難しい。
制御して、ぐっとこらえてからのち、「社会的に正しい」ことを言うことが求められる。

でも、こらえたその感情はガス抜きされず蓄積される。
多くの人が、気持ち悪いものは気持ち悪いと、何事にも縛られずに言いたいのである。


社会的拘束力の強いものと弱いものがある。

例えば、日本では部落差別や同和差別の解消の歴史は割りと長いので、
ヘイトを言った方がワリを喰うという意味で、縛りはキツい方だと思う。
(もちろんすべての土地で差別が解消してはいないが)

一方で、LGBT関係はまだまだ歴史も浅いし、生理的感情に直接引っかかりやすいテーマなので
縛りはまだまだ弱い。
要するに「おまえホモか」と言って、発言者が罰せられる可能性は低いということ。
(そもそも被発言者が泣き寝入りをするパターンが多い)

中間的な所でいくと女性差別だろうか。
女性の社会進出推進と言いつつ、育児との両立はどうするんだとか、
イクメンという言葉が逆にマイナスの効果を発揮し始めてたりとか、
3歳神話とか、日本死ねとか、
かなり世界レベルからして遅れをとっている感はある。

まあいい。要するにヘイト感情を発言するのにはそういった縛りの強弱があるということだ。

だいたいの人は、縛りの弱いものを対象にしてガス抜きをする。
ガイジ、ホモォ…。
他人を見下し、マウントをとることで、必死で生きているのかもしれない。



多様性が推し進められた社会では、このガス抜きの手段が狭められていく。
ちょっとした発言が「ヘイト」となる。

経済的にもうまくいかず、あらゆることへの生理的感情さえガス抜きが許されない。
閉塞感は世界的に広がっているように思う。

そうした世界に登場する、ナショナリズム的思想と煽動者。
「日本を取り戻す」
「EU離脱」
「偉大なるアメリカ」

たまたまその国がそうした状況になっているのではない。
この閉塞感をなんか打破してくれそうな政権、人、政策。
普段思ってるけど言えないことを表舞台で言ってくれる人。
そうしたものを求める人が、無視できない人数で増えてきているということだ。

トップがヘイトを言ってくれるのは、下々の者にとっては大変ありがたい。
何を言っても、「だって上の人も言ってるじゃん」「みんな思ってるんでしょ?」と
開きなおれるからだ。

一定層が多様性の推進をすすめるほど、
生理的に受け付けない人の我慢は限界に達し、極端な世界がやってくる。
二極化社会はもう生まれている。



最後に…

ぼくらゲイに関する社会的言いづらさの縛りは弱い。
普段の何気ない会話の中にもジャブのようにアンチホモの話題が差し込まれてくる。
とてもじゃないが、職場や友人にカミングアウトできる状況ではない。

それでも昔よりは良くなってるとは思うが、今より更に良い状況になるとはなかなか考えられない。
現実に、同性婚が合法化されているアメリカで、
既に個人レベルで毒のあるガス抜きが始まっている。
「ゲイファミリーは地獄に落ちろ」と。

日本でもつい最近、別の問題と合わさってのことだが、
「絶対知られたくないセクシャリティな部分もクローズアップされてしまい…」と
なかなかに辛い内容の報道があったばかりだ。

人類はこれからどういう道を選ぶのだろうか、
もう破滅への引き金はひかれてしまっているのだろうか。

それとも、これは必然の流れなのだろうか。




「多様性の尊重」に疲れきったこの世界で。



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