煩悩遍路 後序

というわけで、ようやく四国遍路の記録を書き終えました。いやー、8ヶ月もかかっちゃいました。でも年度末には終えることができてホッとしてます。

遍路を終えた後は、家族からもびっくりされるくらい表情が良く、且つ、浮世離れしたようなオーラがあったらしい。いまではすっかり現実世界に戻っちゃってますが、そういう経験が出来たのは本当に良かったなと。

お遍路の記録を書いてみたわけですが、長旅と同じように、書くという行為にも、少年期、青年期、壮年期があるように思う。文体や構成に、だんだん落ち着いてくる(刺激が少なくなっていく)方向の変化があるのはそういうことです。

長く何かを続けることの楽しみには、それによる変化自体も含まれているのかも。

また、お遍路という旅には県ごとに「発心」「修行」「菩提」「涅槃」という区切りが設定されているんですが、思い返してみるとたしかにその通りの心境や行動の変化があったなぁと感じられるところも面白かった。





ここからはつらつらと思ったことを書いていきます。

●もらったお接待はこんな感じ。物心ともに助かった。
・飲み物(お茶、ジュース、栄養ドリンク)
・お菓子(市販のもの/手作り)
・ビール
・たこ焼き数個追加
・飴
・ティッシュ
・サンドイッチ
・車に乗せてもらう
・バナナ
・野宿場所の情報
・カロリーメイト
・現金
・スモモ
・うちわ
・靴の乾燥用の新聞
・パン
・ミニ仏さん
・三葉松
・お好み焼き
・トマト
・寿司弁当

●歩き続けていると、普段は感じないことも感じられるようになった。太陽がすごく好きになるし、田んぼや畑の野菜の成長(=季節変化)を感じるし、土地ごとに景観の変化も土や砂の色レベルでよくわかる。

●野宿2~3:宿1くらいの割合だったけど、なんといっても宿は安いし急な予約でも対応してくれてありがたかった。でも将来のことを考えるとちょっと心配だったり。四国には「遍路宿」が多くあって、どこもお遍路さんを対象にした、遍路道沿いにある宿。場所によってはお遍路さんしか泊まらないであろう所もあって…だいたいが高齢者がお店をやっている。あと10年もすれば継続が厳しくなってくるところが沢山出てくるんじゃなかろうか…と思った。

●食事事情も書いておきたい。ぼくは自炊道具を持っていかなかったので、基本的にコンビニやスーパーで2,3食分のパンやおにぎりを常に買っておきつつ、食べ物屋さんを見かけたらそこに入ったり、という食生活をしていた。それに加えて、カロリーメイトや魚肉ソーセージ、飴なども常備。飲み物も死活問題だが、全部買っていたのではお金がかかるから、トイレでペットボトルに水を汲んでそれを飲んでいた。3回目の区切りでは粉末タイプのスポーツドリンクも用意したが、水がぬるいとそんなに美味しくない。
途中で出会ったお遍路さんは、遍路の食環境は良くないと言っていた。毎日コンビニのおにぎりばかりを食べていると身体には良くないし…かといってコンロを持ってきたとしても、カップうどんやそういうものだったらあまり状況は変わらないし。こだわるほどに荷物は増えてしまう。外食ばかりだとお金がかかりすぎる。という感じで…汗
毎日30kmくらい歩いていると、本当にお腹がすくし、タンパク質を身体が欲しがっているのがよくわかった。だからぼくはよくカツ丼を食べたい欲にかられていたし、豆乳を飲んだりしていた。食べ物はすべてのエネルギー源なのだということと、その質をどこまで求められるのか、という問題を知ることができた。





さて、ここからは後日談。

100日遍路のマサさんに絵葉書を送ると、しばらくして彼のお遍路レポがどーんと届いた。所属しているグループで報告会もしているようだ。そのレポの中で一番印象的だったのが、「縁は自ら創るもの」という言葉。彼はお遍路中、四国にいる知人に多く会っていたようで、自ら連絡をして会い、縁を創っていくようなニュアンス。
ぼく自身では、お遍路は出会いの旅だったこともあって、「縁は偶然生まれるもの」という認識が強かった。でも、「創る」タイプの縁もあると気づいた、というか、偶然生まれる縁に対して、その後、自分から連絡をしたりして、縁を創っていくことも大事ということを知った。偶然生まれるタイプの縁と、自ら創るタイプの縁。面白い。

高知~愛媛でたびたび出会っては別れるを繰り返していたリクくんは、自分の実家と近いということで、年末に再会した(創るタイプの縁である)。当然お互い普段着なので、白衣を着てないのが逆に違和感があった(笑)。愛媛で別れてからその後どうしたかとか、現実世界ではどうかとか、仲良くしていた人々とその後連絡をとっていたぼくからの情報とか、色々話した。
リクくんもブログをやっていて、すごい大作なので読むのには時間がかかったけど、面白かった。自分も途中に登場するし。自分が主人公の物語の外伝をずっと読んでいるような感覚で、不思議な魅力があるもんだ。

シロさんとも連絡を取り続けている。たまに登山すると写真を送り合うくらいだけど。元気にやっているみたいだ。いつかまた会いにいきたいと思っている。





結願直後にメモしていた言葉を見つけたので、ここにいくつか挙げてみる。

・人生万事塞翁が馬
・どの人にもドラマがあり、哲学を持っている。
・ゆっくり歩いて寄り道した方が面白い。
・人に話しかけよう。面白いことが起こる。
・困ってもなんとかなるし、その困っていることは自分が勝手に作り出したものかもしれない。
・やりたいことは、やろう。

この中では最後の「やりたいことは、やろう。」が気に入っている。ずっとやりたいと思っていたお遍路をやった直後の感想なので、ほんとに、やりたいことをやってみて良かったというリアルな感想が詰まっている気がする。



そして、この言葉の通り、ぼくはこの3月末で退職することにしました。4月からは、大学のときに専門で勉強していた分野の仕事に転職する。これは、お遍路中にもおぼろげながら考えていたことで、あれから随分と時間は経ったけど、ようやく決めることができた。動いてみると思いのほかすぐに採用内定をもらえたので、ホッとしてます。
転職ということで、また住む場所も変わっちゃうので現在絶賛引越準備中なんですけど、ワクワクと安心感のある転職なので、結構穏やかな気分です。

将来、この時期を振り返ることがあったとして、お遍路してみて変わったことは?と聞かれると今回の転職を挙げることになるのかもな。とはいえ、どっちみち鬱になった時点で今の仕事はちょっと厳しいな…と思っていたのではあるけど。その背中を最終的に押してくれることになったのがお遍路だったという表現もできるかな。

長い休職期間が終わって、4月から新天地でようやく現実世界に戻ることになるわけですけど、無理せず、ゆっくり歩いて、面白いことを見つけながら生きていこうと思います!


ではでは!


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煩悩遍路 高野山へ

高野山

結願の日から5日。
夕方、和歌山県は九度山、町石道の途中の展望台にいた。
今夜はここの東屋で野宿をする。

町石道は、南海電鉄の九度山駅から高野山へ続く、22kmほどの山道である。
高野山へはケーブルカーでも行けるが、なんとなく歩いて到達したかったのでこのルートにした。

16時すぎに、おっちゃんが下山してきた。
歩くのが好きで、近場にある100kmくらいのトレイルをいくつか歩いているらしい。
お遍路さんでは無いようだ。

「四国遍路、終わったんですけど実感がなくて」
「今は無くてもそのうち出て来るかもね、数年後とかに。少なくとも自信にはなるよね」

「色んな人に会い、その人の価値観に振り回されてみるのは大事。考えるきっかけになる」



展望台なだけあって、夜景もきれいだった。
自分ひとり、いま世俗から離れて山の中腹で野宿しているんだ…と実感する。
うれしいような、さみしいような。

野宿するのも、今夜が最後だ。



夜が明けた。7月23日土曜日。
朝焼けが眼下の川に反射して、神秘的な美しさだった。

いい天気だ。高野山へ、いざ出発。

途中で、後ろからおじさんが追いついてきた。
区切り打ちでお遍路をしていたらしく、ぼくと同じく今日高野山へお礼参りに行くとのこと。

ペースが結構早く、12時半には高野山の大門に着いた。
ここは26℃。涼しい。



高野山は広かった。その中の道路を歩き、奥の院へと向かう。
土曜日ということで一般の観光客も多く、菅笠と白衣は多少恥ずかしいけど、
やはりそこは高野山。
車やバスで遍路を廻ったのであろうおじさんおばさんが、結構話しかけてくれた。
仲間意識みたいなものを感じてくれていたのだろうな。



奥の院へ行くと、杉の巨木がボンボン生えていて、厳かな雰囲気がそこにはあった。
武将たちのお墓もある。

奥の院のその一番奥へ。
この先には、かつて空海が入ったきり、誰も入ってはいないという。
そこから、今でも空海は生きているという伝承ができているようだ。

今でも、ここのお坊さんは毎日空海用のご飯を準備している。



空海さんに、88ヶ所めぐりの完了を報告。
そして、手前の納経所にて、納経してもらった。
「歩きで廻ったんですね。結願おめでとうございます」



これで本当に、ぼくのお遍路は終わったんだなぁ。



その後、また2日ほど名古屋で友人と遊んだあと、電車で家へ戻る。
大垣駅からの車内、ボックス席でたまたま向かいの席に座ったおじいさんが、
ぼくの荷物を見て話しかけてきた。
以前、ツアー遍路の説明会に行ったことがあるらしく、羨ましがられた。



四国という土地を離れても、見知らぬ人と話ができる装置、それが
四国遍路なのかもしれないな。

おじいさんはこう言って、電車を降りていった。
「満願成就おめでとうございます」

【完】


煩悩遍路36日目「結願」―涅槃の道場―

7月17日(日)。
発願の日から2ヶ月と1日が経っていた。

今日で歩き終える。あいにくの雨だけど、昼には晴れるとの予報だ。

36日目(1)

7時半、86番志渡寺を打つ。
緑の多い境内は静かだった。

ここから一路、南に向かう。正面に見えているのは大窪寺のある女体山だろうか。
 
36日目(2)

87番長尾寺では、近所の住民の方々がテントを設営して大勢でお接待をしていた。

今年は逆打ちがご利益があると言われており、特に車遍路は逆打ちの人がほとんど。
そういった人々にとって、ここ87番札所は、2番目のお寺となる。
これからの長い旅を前に、明るさとぎこちなさのあるお遍路さんたちで賑わう境内。

これまで長い距離を歩き、神経が摩耗し、世間から浮いたような佇まいと、遠くを見るような目を獲得した自分が
この場で明らかに異質なものであったのは間違いない。

ここにきて、気持ちがふりだしに戻されたような、自分だけハブられてるような感覚。
ま、気にしないことだ。

これまでのお遍路の日々を思い出そう。
出会った人々を思い出そう。
その積み重ねの上に、今の自分がいるのだ。

36日目(3)

前山ダムのそばに、「おへんろ交流サロン」という施設がある。
この施設では、お遍路の歴史や、関係する物品の展示の他に、
88番札所の結願を前に、結願したことの証明である「遍路大使任命書」を発行してもらえるのだ。

歩いた証明?この黒い肌と、すり減った金剛杖です。

係の人から、遍路道を世界遺産に、という署名をお願いされたが、やめておいた。
多くがアスファルト道なので、現実として世界遺産にはなれないだろうし、
ならない方が良いと、歩いていて思った。
四国には、生活をしている住民がいるから…。

36日目(4)

逆打ちの自転車遍路のおじさんと少し喋ってから、互いの健闘を祈り、出発。
時刻は12時。サロンでもらった地図を頼りに、女体山へ、最後の登山。



誰ともすれ違わない、山道。
廃村、壊れた民家。
軒下で、犬が悲しい声で鳴いていた。誰が世話しているのだろう。
鎖につながれ、通りすがりの歩き遍路に吠えるしかない犬たち。

遍路は自由だ。世俗という鎖は断ち切っている。
それでも、その犬たちと自分とを重ね合わせて見てしまう自分がいたのも、事実である。

36日目(5)

36日目(6)

36日目(7)

36日目(8)

こんな山奥でも田んぼがあった。
徳島を歩いていた5月、まだ数センチだった稲も、今ではもう大きくなっていた。

36日目(9)
 
36日目(10)

女体山山頂まであと1km。いよいよ最後の山登りだ。
旅の道中に出会った人々とのエピソードを思い出しつつ、歩く……
とかいう余裕はまったくなく、急坂を登るので精一杯だった。
曇天+霧でものすごく蒸し暑い。汗もありえないくらいに出る。
タオルを何度も何度も絞っては、登っていく。

36日目(11)

36日目(12)

36日目(13)

36日目(14)

荒々しい岩がむき出しになっている。その岩に刺さった金具。
修行感は存分にあった。



そして、女体山山頂……。



……真っ白だった。霧がかかり、視界は全く見えない。
晴れていれば香川が一望できると聞いていたんだけれど。

36日目(15)

聞こえるのは自分の荒い息づかいだけ。
白い霧は、すべてを包み込んでいた。
飛び出している岩に座り込み、焦点のつかめないその空をしばらく眺めていた。



これほどまでに雨男かと。横峰寺も、雲辺寺も、雨だった。
梅雨どきだからとは言っても……。

「真っ白なキャンバスに、自分の手で、未来を描け」という無理矢理なメッセージを思いついた。
或いはその逆かもしれない、とも……



仕方ない。今回はそういうことだったんだ。
変わらぬ景色を目に焼き付け、山頂を後にした。

こうした幻想的な光景を見れたのも、霧のおかげと思えばいい。

36日目(16)

きれいに整備された山道を下っていく。
雲間から、待ちくたびれた青空が見えた。

36日目(17)

36日目(18)

少しずつ結願が迫っていた。

眼下に88番大窪寺が見えた。
まだ気持ちの整理が付いてない。思い出も消化できてない。
それでも、足は前に進み、結願という現実がやってくる。






15時半、結願。






終わった。

36日目(19)

泣かなかった。泣けなかった。
放心状態。ホッとしたような、さみしいような、達成感、昂揚感。

境内にいる他の人との温度差を感じた。
気持ちのもっていく先も無いようだった。

徳島から、36日かけて、ここまでほぼ歩いてきた。
実感が無い。区切り打ちだったせいかもしれない。分からない。

「26歳は旅する年齢」と沢木氏は言った。
ぼくはお遍路がしたかった。きっかけは鬱なれど、今日こうして夢を実現した。できたんだ。

お遍路中は、歩くことに専念できた。ゴールがあった。
今日ゴールした。
明日からどう生きればいいんだろう。

明日も歩いている気がする。



近くの男性にお願いして、写真を撮ってもらった。
すんなり引き受けてもらえた。言外に「結願おめでとう」の意があるようにその時は思えた。



お寺の前にあるお店に金剛杖が立てかけてあった。
自分のとくらべてみると、自分のは30cmくらいすり減っていた。
普通は10cmくらいらしいが…かなり強く地面を叩いてたんだろうな。

36日目(20)

新品の靴も、おつかれさん。

36日目(21)

お店では、結願所名物の「打ち込みうどん」をいただく。
座敷には静かな風が通り、時間がゆっくり流れていた。
結願おめでとうございますと、コーヒーを接待していただいた。



今夜は近くの東屋に、テントを張って野宿する。
明日からは、数日四国を観光してから、高野山へ行こう。
まだ旅は続くのだ。

賑わっていたお寺も静かになった。
暗い東屋の下で、お遍路を振り返る。

このお遍路で、具体的な結論は出なかった。
でも、お遍路をしたという事実と、沢山の感じたことを武器に、これから生きていけるはず。

36日目(22)

ひぐらしが鳴いている。
いつの間にか季節は夏になっていた。

 

総距離:約1,200km(歩行距離:約1,050km)
日数:36日
発願日:2016年5月16日
結願日:2016年7月17日

地図


煩悩遍路35日目「虹に向かって歩け」―涅槃の道場―

歩道に寄ってきた車の運転席から、お兄さんが腕だけ出して栄養ドリンクをくれた。
「ヨッ!」とだけ言って去っていった姿がとても恰好よかった、朝。



早々に83番一宮寺を打ち、北へ進路を変えて高松の中心部へと向かう。
横には栗林公園が見えた。3年前のスケッチ旅の初日に来たなぁ。あの日も暑かった。

10時、ちょっと寄り道して、うどんの有名店「さか枝」へ。さすが、混んでる。土曜日だしな。
「かけ中」にトッピングのあげ、ちくわ天を乗せて、390円也。
かけつゆを、ずんどうから伸びている蛇口から出すのが面白かった。



次は84番屋島寺だ。
屋島はその名の通り、遠くから見ると屋根のような台形の形をしている、山頂が平らな山。
昔は島だったらしい。どういうことだろ。

お寺への道のりはめちゃくちゃ急な坂で、その傾斜のまま舗装されてるもんだから、
余計にしんどい。
近所の人や観光客もそこそこ登っていた。自分の方が荷物量は半端なく多いが、何人か抜かせた。
疲れているとはいっても、体力はやっぱり付いているもんだ。

山頂からは昨日の五色台が見えた。あそこに昨日いたんだ。
納経所、境内、展望台、どこも賑わっていた。世間は海の日の3連休。いつの間にか夏休み。
連休を使って逆打ちをしているのか、経所に行列が出来ていた。お遍路の恰好をしてない人も多い。
そんな中浮いているガチの歩き遍路のぼくにだけ、納経所のおじさんがお菓子をくれたり。

下り坂も急だった。登りの比じゃない。こっちは土のある一般的な登山道の雰囲気だったが、
所々ロープがかけてあったり、木が倒れて道を完全に塞いでいたりして、危険な匂いがした。
途中で逆打ち歩き遍路さんに会ったけど、かなりへばっていた。遍路ころがしみたいなもんだな。



川を越えると、今度は85番八栗寺への坂道が始まる。
このあたりにあるうどん屋「山田屋」を以前超高速マルさんからオススメされていたので、
寄ってみた。
瓦屋根の建物。きれいな内装。お客の年齢層。やっぱ高級。
「ざるぶっかけ」570円は、上品でおいしかった。
高すぎはしないけど、他の雑駁な讃岐うどん屋に比べると、高めかな。

屋島の登り坂で疲れていたこともあって、八栗寺へはケーブルカーに乗ることにした。
560円で上まで行ける。リクくんが言うところの合法ワープ。
これで、乗った交通機関の種類に、電車、船、車、バスにケーブルカーが加わった。
もしロープウェーに乗ってれば、コンプリート感はあったかも(笑)

「歩きにこだわらない」ということにこだわっていた以前の自分を思えば、
今回特にためらいもなくケーブルカーに乗れたことにちょっとびっくりはした。



境内で、般若心経の写経ができるとの張り紙を見つけた。
その時はそういう心境だったのだろう。申し込むことにした。

般若心経が薄くプリントされている紙と筆ペンをもらう。なぞるだけでいい。
ひとり静かな畳の部屋で、字を書いてると心が落ち着く。
願意の欄があったので、考えた末、「自信をもって生きる」とした。
各所で受けてきた「お遍路の目的は?」という質問に対する、自分なりの答えを出したことになる。

千円で奉納すると、多宝塔にずっと奉納してもらえるとのこと。
よろしくおねがいします。

写経をしたからか、結願が近いからか、妙に気持ちが落ち着いていた。



夕方、道の駅に野宿しようと思ってたら、野宿禁止とのこと。
しょうがないので、もう少し先の素泊まりの宿に予約を入れた。

宿までラスト、海沿いの住宅地を東へ歩く。

ふと見上げると、空に虹がかかっていた…。
「虹に向かって歩いてね!」と、地元のおばちゃんが自転車を漕ぎながらエールをくれる。

旅の終わりにふさわしい気がした。
自然に、人に、励まされている。



チェックイン後、宿の近くのお好み焼き屋へ。
お客はぼく一人だった。

ぼくが着ていたモンベル(アウトドアメーカー)のTシャツを見て、
アウトドア好きなんですか?と主人が聞いてきた。
それをきっかけに、旅の話、モンベルの話、カヌーの話、冒険の話…と発展した。

カヌーイストの野田知佑さん、冒険家の植村直己さんの本をくれた。
植村さんの特集番組の録画も見せてくれた。
2人ともぼくは全然知らなかったので、新鮮だった。

ビールもおごってもらって、いい具合に酔ってくる。
追加で焼きそばを注文し、もりもり食べる…うまい。なんだか幸せだった。
主人が店先の電気を消した。お店は貸し切り。客はぼく一人。

主人も旅が好きらしい。
昔、旅先で優しくしてもらった経験から、今は旅人には優しくする主義なのだそうだ。
旅人から旅人へのつながりの連鎖がここにもあった。

「明日晴れてたら、裏の海でカヌーを教えてあげるんだけどなぁ」



静寂に包まれた夜の志度の町を、サンダル鳴らして宿へ帰る。
宿の主人に聞けば、ここから88番札所までは半日で行けるらしい。

そうか…いよいよ明日が…最後。

35日目(2)



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