レインボーウィークということで

Eテレの『バリバラ』でセクシャルマイノリティが取り上げられてたので、見てみた。

【生放送】検証!“オネエ”問題

さすが、バリ“バラ”なだけに面白い!終始笑いが絶えなかった。

テーマはオネエ。
2006年頃から登場した言葉で、今やテレビに出ない日はないほどのタレントジャンルになってる。で、そのオネエの定義があやふやだぞ、それって問題なんじゃない?テレビ的にどうなのよ、という話だった。

LGBT当事者なら分かることですけど、一言でオネエタレントといっても実際はゲイだったりトランスジェンダーだったりストレートだったりして、ごちゃごちゃしてるんですよね。番組にも出ていたはるな愛さんはトランスジェンダーなので「女として男が好き」なんだけど、ベビー・バギーさんはゲイなので「男として男が好き」。でも男っぽいけどなんとなく女っぽい口調をしてて…みたいな部分で、一括りに「オネエ」として扱われてる。

番組内では、(酔ってる)花見客に突撃インタビューしてて、オネエのこととか性自認のこととか(こういう専門用語は口頭だとわかりにくいから敢えて使わなくても良かったとは思った)色々話してた。花見客は(酔ってるということもあって)カテゴライズに頭が追いつけてない様子だったけど…笑

番組を見てて、色々と考えることがあったので、整理ついでにここに書き散らしてみようと思います。


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まずはカテゴライズについて。
やはり「名前を付けると可視化される」という効果はある。LGBTにしろ、オネエにしろ、いままでもそういう存在はいたけど、名前が出来ることによってそれに属する人たちが可視化されていくという段階がまずある。ここがまずスタート地点。
で、そのあとの段階として、その可視化されることによって周囲との摩擦やら対立が生じたり、内部での議論が出たりする。LGBT以外にも、アセクシュアルもパンセクシュアルもいるんだよ!LGBTじゃなくてLGBTTQQIAAPと表現すべきだ!みたいな話が出てきてようやく本番。
そして、ストレートと非ストレートという構図にするからややこしい、性は多様で云々…みたいな方向に議論が成熟していって、当事者以外も巻き込み、価値観の変化や法整備が進んでいって、という流れになるのかな。
(諸外国では多分最終段階あたりまでは行ってる。もちろんアメリカのように逆行し始めてるところもあるけど)

ちょっと脱線したけど、要するにカテゴライズ自体は議論の初期段階において大切なものなので、現在の日本でのオネエという括りそのものがダメ、とは思わない。単純に、そのカテゴライズを疑う第二フェーズに移行したというだけじゃなかろうか。

今日のバリバラで、オネエのくくりが雑すぎ問題が取り上げられてたのは、一歩前進、と捉えてもいいのかな。

というのも、番組を見てて、LGBTの定義の説明とか、インタビューで「レズビアンの人初めて見ました」という回答があったりとか、日本はまだまだ遅れてるなぁ…と一瞬思ったから。でもよく考えると前述の通り次の段階には進んでるんだろうし、東京レインボープライドが催されるこの時期にテレビで特集が組まれてる事実は前向きに捉えて良いのかもね。


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オネエという存在が自分たちゲイの隠れ蓑になっている、という意見が番組で聞こえてきた。
これはたしかにそうだ。テレビで、ゲイ→女装してああいう口調と雰囲気で喋るんでしょ、という認識が生まれるので、それを逆手にとり、普段の生活では、女装していない限りゲイと認識されずに済む、という効果がある。ゲイバレが怖い現実社会においてはかなり有力な武器にはなる。

でも、これも一長一短というか、本質的な部分ではマイナスなんじゃないかなぁ。結局のところ人々のゲイやトランスに対する認識を誤らせているわけだし、君のすぐそばにいる当事者に気づけない(気づかない)ので。理解を進めるには気づいてもらうしかないという視点からすると、かなりの足枷になってると思う。

もちろん、セクシュアリティをオープンにして生きるのがベスト、という価値観のものでの話にはなる。


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そういえば声優の三ツ矢雄二さんがゲイをカミングアウトしたのが話題になった。今年の東京レインボープライドのオープニングレセプションにも登壇したようだ。
まあ元々グレーゾーンとして認知はされてて、インタビューによると業界内ではみんなゲイだと知ってたらしいけど、視聴者側としてはようやくその事実を知れたわけだ。

三ツ矢さんのようなある程度の立場までのぼっている人がこうしてカミングアウトする社会的意義は大きいよなぁ。というのも、立場が上だと、笑いものに出来ないから。ゲイをカミングアウトして何が怖いって、世間から攻撃の対象に設定されること。笑いものの対象にされること。でも、立場が上であれば、たぶんその心配は少ない。(三ツ矢さんはキャラが面白いので別の意味で笑いものにはされるとは思うけど)

笑いの対象ではないセクマイがどんどん出てくれば、社会における認識もどんどん変わってくる、はず…。先輩たち、よろしくおねがいします。

自分もいつかはオープンにしたいなとは思ってて、職場での立場をある程度築けたら実行するのもアリかなぁとかは妄想してる。一方で、そんなこと言ってたらいつまでも実行は出来無さそうだけど(苦笑)。そもそも家庭を持ちたいな~という気持ちも最近抱いているし。その場合だと、女の人と結婚することになるけど…うーん…。未来のことはわかんないのでなんとも。
結婚願望についてはこの記事に書いてるので暇な人は読んでね。

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カミングアウトに関連して、カミングアウトを友達にしたら「○○くんは○○くんだよ!ゲイであろうがどうであろうが関係ないから!」みたいな美談はなんとなく嫌いである。
うん。いや、ゲイであろうが関係なくないぞ!と主張したい。ゲイなのである。勝手に無関係にされても困る。じゃあどうすればいいの?と言われると、答えられないのがもどかしい…こういうのが当事者めんどくさいって言われる所以なんだろうな。。。

という意見も、ゲイであっても人それぞれ思うことは違うわけで。一概にゲイはこう思ってます~みたいなのは難しい。よって、セクマイの社会活動はなかなかセンシティブなんだろうなと容易に想像はつくし、実際大変そうだと思う。

この話はオネエ問題にも通ずるものがあって、たとえばオネエ以外のLGBTタレントがテレビやらイベントに登場したとして、一連の問題が解消するかといえばしない。というのも、LGBTと一括りに言っても多種多様で、その人によって性の在り方が違うから、一人でカバーしきれない。タレントは得てしてそのグループの代表みたいな位置づけにされてしまうけど、実際は一個人なので、絶対にカバー出来ない。
だから、どうあがいても、括りが出来てしまう問題は必ず発生するんだよなあ。

その点はバリバラの番組内でも話題になっていた。番組最後に、新しい番組をプレゼンするコーナーがあったのだけど、何人かは、色んなLGBT当事者が登場するような番組構成を検討していた。結局、だれか少数のタレントに代表させるのではなくて、サンプル数を増やし、その結果視聴者に「多種多様なんだ」と実感してもらう手法が良いようだ。


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最後に、やっぱ当事者自身が現実感をもって動いていかないとな、とはいつも思う。一部の活動家やタレントにただ期待していても歩みは遅い。ゲイが抑圧されてて生きづらいと思うのなら、まずは自分の身の回りから変えていかにゃならんという意識を持てたらなぁと…まあこれは多分に自戒の意を込めてなんですが…思う。

でもやっぱりゲイ垢のツイッターをみてても無関心という雰囲気は感じるし、俺らは隠れて楽しんでるんだから余計なことはするなという意見も行間から見え隠れはする。職場でカミングアウトしたいなと発信すれば、出来ない理由を並べ立ててやめさせようとしてくる人もいるし、そういうのは余計な親切という名の単なる足の引っ張り合いなんじゃないかな、と厳しい見方もできると思うし。実際現実社会でカミングアウトしたら十中八九しんどいので、正しいアドバイスなのは分かってるんだけど…でも言わなきゃ変わんないよ?というジレンマ。

結局は過渡期なんだよね。中途半端に抑圧と解放への望みがあるがために余計にしんどくなるという。でも、その時期にふんばれる人がいるかどうかが次の世代への望みにもなると意識できるかどうか。自分じゃなくてもいいじゃんと思わずに、出来る範囲でより多くの人がそういう動きができたらいいのになぁ。



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