煩悩遍路7日目「結果論でもいいじゃないか」―発心の道場―

「ふぁ~おはようございます」
布団という贅沢な寝床から、朝6時に清々しい起床。ほどよい筋肉痛。

食堂にはすでに朝ごはんが用意されていた。
ああ、朝から栄養満点の食事ができる幸せ(しかも自分で用意しなくても!)。
「おかわりお願いしま~す!」の声が複数人から挙がる。


今日もサブさんと行動を共にするが、それは途中まで。
彼は10Kmほど歩いたあと由岐駅~日和佐駅まで電車に乗るそうだ。
そこで23番薬王寺を打った後、ふたたび電車・バスを利用して室戸岬までワープする。

なんせ、23番薬王寺から24番最御崎寺までは80Kmもあるのだ…。
徒歩2~3日はかかるこの道のりを交通機関で省略する人は少なくない。


というわけで、2時間半の道のりを共に歩く。
道中、カニに注意!の看板に笑ったり、苔むしたコンクリートの壁の落書きを読んだりした。
変に気負わず、でも馴れ馴れしすぎない、居心地のよい会話。
鳥のさえずり、そよかぜ、木々の音がBGM。

由岐駅にて、お別れの時がきた。
無事に27番神峯寺まで着いて、結願できますように!
連絡先、交換しとけばよかったな。



また、一人になった。



「ざざぁ・・・」

海だ!ついに海に出た!
波の音、潮の香り。

徳島県の遍路道は、グルッと山側を回るようなルートになっているため、
意外なことに海を見るのはここが初めてとなる。

「津波注意」の看板がポツポツと現れ始めた。


海岸に近い小屋に地元のおばちゃん達が集まっていた。
呼ばれて行ってみると、お接待のために毎週土日に交代制でこうして待っているのだそうだ。
おにぎり、揚げパン、粒の残ったおもち(「半殺し」というらしい)、シュークリーム等々
手作りの品々が並ぶ。充実のラインナップにビビった。

「沢山食べてってね~、残ってもおばちゃん達が太るだけやから」
全種類2つずつ食べさせてもらったうえに、昼ごはん用にと、もう1人分パックにつめてくれた。
恐縮しつつも、この場は、町内のおばちゃん達の井戸端会議的な憩いの場、兼、
お遍路さんへのもてなし(=生きがい)の場としてうまく機能してるんだろうなぁと思ったり。
彼女らの、海のようにおおらかで気さくな笑顔と訛り言葉が印象的だった。



満腹のお腹をかかえ、海岸沿いを歩く。
峠を越えればウミガメの町、日和佐。23番薬王寺に到着だ。

ぼくは悩んでいた。どこまでお遍路を続けるのかを。

通院の関係で、元々与えられた期間は2週間である。
今日でようやく1週間経ったところなので、まだ歩けるし、
がんばれば高知市あたりまでは行けるだろう。


正直、満足している自分がいた。

たくさん歩いた。
思い荷物を持ってでも、毎日歩けることが分かった。
テント泊、善根宿、通夜堂、民宿と一通りの宿泊形態を経験した。
お遍路という文化に触れられた。

一方で、このまま続けるのが嫌だな、と思う自分もいた。
飽きていた。津波が怖かった。ここからの80Kmが面倒くさかった。
鬱特有の無気力状態を凌駕していた遍路熱は、冷め始めていた。

いま、自分は鬱の治療中である。
無理せず、気持ちのままに行動するのがベストだ。

遍路がしたいと思ったから来た。
帰りたいと思うから帰る。

それでいい。



「一国参り」という言葉がある。
今回は、徳島県の全23のお寺を参り切って終了。
おお、キリがいい!

発心の道場・徳島の一国参りが終わりました――。

結果論ではあるが、そういうことにして、今回のお遍路は帰ることに決めた。



昼過ぎに23番薬王寺に到着。また来れますようにとお願いをする。

明日の帰路ために、日和佐から実家までのJR乗車券を駅で購入したのだが、
お店のおじさんの息子さんが、なんとぼくの実家の最寄り駅の近くにむかし住んでたらしい。
通りで、遠くてマイナーで難読な駅名なのにすぐ把握して発券してくれたわけだ。

なにかの縁を感じた。


道の駅の軒下でテントを張る。
1週間のお遍路旅も今日で終わりか~。
歩いた道、出会った人、見た景色が繰り返し脳裏に映し出された。

低い天井を見ながら、ふと思ったことがあった。

今回のお遍路では「意図的に中途半端な状態にしておく」ことで
自分の過剰な完璧主義を改められたらいいなと思っていた。

しかし、結果としては、お遍路全体を考えると「中途半端な終わり方」だが、
一国参りとして考えると「完遂した」のである。
いかにも自分らしい決着の付け方だなぁとちょっと笑ってしまった。

そういう根幹の部分というのは変えようが無いのかもしれないな。
変える必要もない、そうも思えるようになっていた。



続きは、またいつか、歩きたいと思った時に――。

7日目

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