煩悩遍路10日目(後篇)「夜話」―修行の道場―

民家から少し離れた空き地にテントが2つ張ってあった。
あたりはすっかり闇に包まれ、肌寒い空気が漂う。

昨日出会ったばかりの若輩に、妻子持ちのおじさんがその性事情を語っていた。

かなしいかな、男という生きものの、その減数分裂により生成される生命の根源は、
日常的に溜まっていくばかりである。
それをいかにして発散するかは、その人の生き方に大きく影響されるし、影響を与えもする。

むなしくも、パートナーとの対人的発散は、結婚したとしても永劫続くとは限らない。



シロさんは、中年と呼ばれる年齢くらいから、それを別の人を対象に実施し始めたらしい。

シロさんはかっこいい。モテてモテて仕方がないらしく、
これまでに何人か同時進行で事を進めていたこともあった。

「でも、一人がいいよ。楽だし、いまは彼女のことを本当に好きなんだ」



シロさんはお酒をどんどん飲む。酔った顔がヘッドライトでかすかに見えた。
嬉しそうな、そして悲しそうな顔だった。



ぼくはドキドキしていた。
話には聞いていたその手の人が、しかも現在進行中の人が、目の前にいるのだ。

ぼくはシロさんが好きだ。アウトドアなんでもこいのスポーツマン、声もいいし、優しい。
おまけにインドアも得意で、ぼくと共通の趣味も多い。

恋心、背徳感、絶望感、嫉妬心、羨望、いろんな感情がまざりあって、
ぼくは錯乱状態になっていたのだろうか。

「シロさん…シロさん、」
「ぼく、じ、じじ実は…ゲ、ゲイなんです。同性愛者です」

後にも先にも、お遍路中にカミングアウトした人は、シロさんただ一人だった。



さすがにシロさんははじめ動揺していた。
全然そんなふうに見えない。いつから。どうして。親には言ったの。…。

しばらく質問されたあと、フッと笑ってシロさんは話し始めた。

「昔ね、スペインのサンティアゴ巡礼っていうお遍路みたいなものに行ったことがあってね」

「様々な国から老若男女が集まって、自然発生的にグループみたいな形で巡礼するんだ」

「そこでね、2人の若い男性が手を繋いで歩いてたんだよ。
はじめはおやっと思ったけど見慣れると全く気にならなくなってね。2人ともいいやつだった」

「だから俺は別になんとも思わないよ」

シロさんはぼくを拒絶することなく、受け入れてくれた。
心が夜空に染み込んでいくようだ。
嬉しかった。



気がつけば、暴露大会となっていた。

シロさんは、そのサンティアゴ巡礼で若い女性から四つ葉のクローバーをもらって
これはマズい(恋されてる)、と思って断ったというモテエピソードを、

ぼくは、初恋の中学の先生のことや、ぼくの経験談を。

「ゲイは、法的に結婚できない上に男同士だから、わりとフリーダムな面があって、
よくその手の話は聞くし、…自分もやったことあります」

「まあ男女カップルより緩いですね。それはどうなんだという議論も勿論あるけど…」



しばらく話に花を咲かせていると、ぼくの股間にテントが張っていた。
長旅をした経験のある人なら分かってくれると思うが、抜くタイミングがあまり無いのだ。

4日ほど溜まっていた。
好きな人と猥談をして、もう我慢ができなくなっていた。

「すみません、ムラムラが…(笑)ちょっとトイレで抜いてきます」
「おう、いってこい(笑)」

すっかりシモな話が自由にできる仲になっていた。
まさか、お遍路でこんなことになるなんて。不邪淫(十善戒のひとつ)とは何だったのだろうか。



トイレからの帰り、空を見上げると昨日と同じく満天の星空がまたたいていた。

「シロさん、星、今夜もきれいですよ」

雑巾のように使い古された表現ではあるが、
とてつもない大きな宇宙の下で、いち人間なんてちっぽけな存在だと思う。

旅をしよう。色んな人の話をきいて視野を広めよう。
人生は短い。いつか死ぬのなら、好きなことをいま楽しもう。
色んな生き方があるんだよ…。

シロさんは、ぼくに語るように、そして自分自身を許すように、喋っていた。



2人ともわかっていた。
それが自身の行為を正当化するが故の戯言でしかないってことを。

でも、それでもいいんじゃないか。
正しくないけど正しいこと、は、ある。そんな気がした。



「君と俺は似てるよ。君は、自分がマジメで優等生的だというけれど、
本質は俺と一緒だと思うよ。考え方も、趣味も…」

「何かきっかけがあれば、殻を壊せるかもしれないね…それはきっと
君の人生を豊かにしてくれる」

人に何を言われようとも、自分の人生だ。好きなことをしよう。



もう時刻はてっぺんを過ぎていた。
翌朝も早い。夜話はお開きだ。おやすみなさい。



隣のテントから、シロさんが電話している声が小さく聞こえた。
「…愛してるよ、おやすみ。チュッ」



ぼくはその晩、なかなか寝付けなかった。
あまりに生々しい夜だった。

10日目(後篇)


スポンサーサイト

コメント


トラックバック

GO TOP