煩悩遍路32日目「お接待という生きがい」―涅槃の道場―

早朝、椿堂と観音寺手前で会ったタケさんからメールが来た。
雨天につき仕事が休みになったという。
ちょうどぼくも今日は休養日としていたので、昼間に会うことになった。



雨が降る中、善通寺の境内にて待ち合わせ。
車に乗せてもらい、金刀比羅宮に連れてってもらう。

タケさんは40代。NPOで農業をしている。
子供の頃から喋るのが苦手で、いじめられっ子だった。
高校を卒業して働いたが、パニック障害が出て辞めた後は色んな仕事をしてきたそうだ。
善根宿のお手伝いも一年した。

「フリーターをやってられるのも若く体力のあるうちだけ」
「40歳にもなるとちゃんとしたところへの再就職は難しいし、
周囲はそれなりの地位や家庭を持ってるから…ちょっと後悔してる」
「でもパニック障害になったのも仕事が原因だから仕方ないんだけど」


金刀比羅宮に着いた。
雨がやんできたので、階段を登って本宮まで一緒に向かう。
ここからは市街を一望できる。

タケさんが住んでいる場所はここからは結構遠くて、車で1時間以上はかかる。
仕事が休みとは家わざわざここまで来るのは大変だったはず。
これもお接待の一環なんだろうか。



話を聞くところによると、彼は1日だいたい4時間くらいしか寝ていないらしい。
というのも、いつ死ぬか分からないし寝てる時間がもったいなく感じるからだそうだ。
それが原因か結果かは分からないけど、身体にガタが来てるとも言っていたし、
ある種の人生に対する「諦観」のようなものが感じられた。

逆に、だからこそライフワークとしてお接待を日頃からやっているとも思えた。
お接待をすることで、お遍路に来る全国の様々な人と知り合える。見聞も広がるだろう。
そうした生活はたしかに金銭的には不十分になり得るかもしれないが、
他の面で充実した豊かなものにはなる。
自分の行為によって、お遍路さんから感謝されるし、笑顔になってもらうこともできる。
誰かのために何かをすることほど、自分の存在意義を感じられることはない。

金銭面、仕事面、身体面での充実に諦めを持っているタケさんは、
お接待による人との出会い、そして感謝されることを通して、
自分の人生の意味、そして存在意義を自ら作り上げようとしているのではないだろうか。

色んな人からお接待をしてもらっていてこんなこと言うのも良くないかもしれないけど、
お接待をしてくれる人は少なからず「陰のある」動機を有しているのかもしれないという可能性も感じた。



こうした考えを基にすると、
椿堂、観音寺、今朝のメールはどれも、
タケさんがお接待をしようと思ってたからこそ発生した出来事で、
偶然の再会でもなんでもない、と言うこともできる。

字面だけ見ると、なんだかドライな考え方なようにも思えるけど。
何でもかんでも「会うべくして会った」とか思いがちだった当時の心境からすれば
ある意味冷静な視点を持つことができたきっかけなのかなぁとも、今では思える。



近くのうどん屋さんで昼ごはんを食べ、お喋りしたあと善通寺でお別れをした。
お遍路に関するいくつかのTV番組をDVDに焼いたものを2枚もらった。
知り合ったお遍路さんによく渡しているらしい。
帰ったらきみの家にもっと送るね、とも。

ありがとうございました。



タケさんの話を聞くと、正直、今後どう生きるべきかまた分からなくなってきた。
自分の好きなこと、やりたいことをやるのはいいとして、
その芽が出ないまま中年を過ぎると諸々問題も生じてくるということを知った。
金銭的問題もある。
かといって四国に住んでるわけじゃないから、お接待で自己実現するという手段はとれないし。

彼だけじゃないけど、この旅で出会ってきた色んな人が言うことの共通点は、
「いつ死ぬのか分からないのだから」というフレーズ。
その続きは…自分の言葉で表して、自分で納得がいくように表現できるだろうか。

とりあえずは、生産性とか成果とかそういうのは置いといて、毎日を大切に生きることかな。
若い時期のこの歩き遍路は決して無駄にはならないから。
というか、無駄にしないような生き方をする。



日が暮れる前に、善通寺でスケッチをした。
ゲストハウスのオーナーにプレゼントすると喜んでくれた。

人からの感謝の言葉を以って、ぼくも自分の価値を見出していく。

32日目


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