ゲイ自覚から5年が経ちました

どどーん!


なんとなんど、ぼくがゲイ自覚してから5年が経ちました!
5年ですよ。
なんかすごく遠い過去のように思われます。


あれは2015年10月29日の深夜のこと。

大学のサークルの飲み会で、いつもどおりゲイネタでからかわれるぼく。
いつもは笑って「そんなことないよ~」と否定していたのですが、
その時はなぜか妙に頭にゲイという言葉が残っていました。

中学のころから何度も何度もゲイ扱いされ、さすがに逃れられなくなっていたのは事実。
魔が差したのか、飲み会から帰宅して、ふとネットで「ゲイ」と検索してみたのがトリガーとなった。

その時、自分が心の奥深いところでずっと感じていた、男の人が好きなんだという本音を、
ヒットしたブログや掲示板の向こうのゲイたちが見事に文章化していたんですね。

それを読んで、昂揚感ととてつもない不安感に埋もれながら、
ぼくは自分がゲイであることをようやく自覚したのでした。


あれから5年。


絶望が、快楽が、焦りが、幸せが、涙が、希望が、ありました。
ノンケだったら絶対会わないであろう、地域も年代も違うお仲間さんと交流し、友達もでき、
友達に、家族に、カミングアウトしました。(いまはクローズド生活だけれど)
彼氏ができました。

いろんなことがあったなぁ。

あのころほどは「ゲイであること」に対して悩んだりすることは少なくなった。
確実に、ゲイだからこそ自分なんだと肯定的に思えるようになったなと思います。



このブログはゲイ自覚した翌年から始めているのですが、
自分の過去や現在の気持ちを文章としてまとめ続けていたということが、
自分のゲイライフをより良いものにしてくれたんだろうなと、自信を持って言えます。

そして、記事にコメントしてくれた読者のみなさんの応援も、力になりました。
ありがとうございました!


そして、これからのこと。

5年というと、会社でいえば、そろそろ中堅の仲間入り?ってところなのかな(笑)
どっしりと構えて、新しい局面を迎えた自分のゲイライフを作っていこうと思います。

今週末、新しい土地ではじめてゲイの人と遊ぶ約束をしてます。観光してきます。
友達になってくれるといいなぁ。



参考:
2011.10.29の記事「祝!ゲイ自覚1周年w
2011.12.08の記事「真実を知る


ノンケのふりして2丁目へ

なりゆきで、会社の同期のノンケに連れられて新宿2丁目に行くことに。
お目当てはオカマバー。

ゲイオンリーのゲイバーには何度かお仲間さんに連れて行ってもらったことはあるけれど、
ノンケや女性OKのお店は初めて。

そこに、ぼくは今回、“彼女持ちのノンケ”として訪れることとなった...。
今回はそのレポと感想を書いてみる。

---

先導してくれたノンケは、なぜかオカマ口調がうまく、何度かオカマバーに行った経験をもつ人。
彼はぼくがゲイであることは知らないが、そういうのに抵抗はないと察知してるようで、
二次会として行こうぜ、と誘われた。

他にくっついてきたノンケも数人。

2丁目に近づくにつれ、「怖えよ」「背後に気をつけないと」といったテンプレの台詞が飛び交う。
まーそりゃそう思うよね。
実はぼくゲイなんだよって言いたい衝動を抑えながら、ついていく。
何度か足を運んでいるおかげで2丁目周辺の地理感覚もついてきたが、それも隠しながら。


いよいよお店へ。
お店にはこっちウケしそうなママや店子さんがいて、
早速オネエ口調でトーク炸裂。

はじめこそビビっていたが、店子さんのさすがのトーク術で次第に慣れてきたようだ。
途中、ママの乳首をひとりずついじって採点してもらうという謎の遊びがあったり、
男同士のキスの話とかそういうのもあったけど、みんな思い存分楽しんでいた。



一方で、ぼくはもどかしさと居心地の良いような悪いような何とも言えない感情に囲まれていた。

ぼくは男が好きな男だ。立場としては店子さんと同じポジションである。
でも、同行者にはカミングアウトしていないので、ノンケと思われており、それを店子にも言っているので、
ゲイとしての発言はできない。

お客さんにはゲイ以外の方が多いので、店子さんに
「どうして男が好きなんですか?」「女と付き合ったことはないんですか?」
などの質問がよく飛んでいた。

店子さんの回答を横で聞きながら、頷くわけにもいかなし、かといって妙に知ってるような質問もできない。
せっかくこういう店に来たのだから、ぼくもゲイトークしたい。
でも、ぼくにはできなかった。

目の前にお仲間さんがいる居心地の良さと、そこにぼくが交じっていけない居心地の悪さがあった。

ぼくもゲイなのに。
ゲイの話がしたい。




会社の同期のみんなとは非常に仲良くしてもらっている。

はじめは恋人がいる(=彼女がいる)と言って、ゲイだと悟られないようにしていた。
そのおかげで安心して交流できたし、たまに同期の男子にボディータッチしても怪しまれなかった。

けれど、仲良くなってくると、そういった恩恵よりも、自分が嘘をついていることが辛くなってくる。
嘘をつくことで、同期との間に自分で壁をつくってしまっているのがよく分かる。

そうして、自己嫌悪に陥っていく。



思いつめてしまったぼくは、帰りがけに同期のホモくん(今回は不参加)にLINEを飛ばした。
「ノンケって分かんない。」
彼は、
「悩むことは悪いことでもないけど、もっと楽に考えることもあってもいい」
と答えてくれた。

ぼくはどうもくよくよと考えすぎる癖がある。
もっと楽に生きれるだろうか。

ノンケの一言一言に食ってかからずに。一喜一憂せずに。思い詰めずに。






隣の席に男女カップル(カップル以前かも)がいた。
彼らは、はじめてこういうオカマバーに来たそうだ。(デートでこういうとこ来るのもどうかと思うけど。)

まず、店子が全員男が好き、という事実に驚いていた。
それから、セックスの話、タイプの話、半生の話、自分はホモウケする顔なのかという話、
たくさん質問をして、店子さんも快く、面白く、そしてドギツく回答していた。

一般向けのバーなので、こういうお客さんは毎日のように来るんだろう。
そして、その都度同じことを繰り返し答えているのだろう。



「あなたはどうしてゲイなんですか?」
自分の存在について連日問われる心的ダメージって、けっこう大きいはずだ。
それを乗り越え、プロの店子として、笑いに昇華して笑顔でお客さんに届ける。
相当強いよ。

ゲイとしての自分とノンケとして見られる自分とのギャップに右往左往してくよくよしてる自分と、
あたかも気にしてないような店子さん。

比較することではないかもしれないけれど、知らない間にぼくは彼らに嫉妬していたのかもしれない。

みんな、悩みは持ちながらも、明るく生きてるんだよな。
変に思いつめて、辛い辛い言うよりも、楽しんじゃったほうがいい。


そう、楽しむこと。

その男女カップルの会話は、一般の人の考えるオカマ像を知れるという意味で、いい機会となった。
ノンケに扮する必要はないけれど、単独こういうオカマバーに乗り込んで、
知らないノンケさんと話をするのも面白いかもしれない。
ぼくは、そういう話が好きだからさ。

自分なりの楽しみ方を見出そう。



お店を出るとき、最後に「実はぼく、ゲイなんですよ」と心のなかで呟いた。
店子さんは、笑顔で「知ってたよ」と、ぼくのゲイとしての存在を認めてくれた気がした。







「イカホモ」願望

イカホモになりたい。

不定期に、そんなことを思う。


ぼくはよく、外見はあんまりゲイっぽくないよねと言われる。
服装もそんなにゲイゲイしくないことが多い。
短パンは脚が冷えるので持ってないし、いわゆる「かわいい」Tシャツも持ってない。
ゲイ自覚後に、多少は原色使いの鞄とかは買ったけど、それくらい。

このことに、ぼくはコンプレックスを抱いているのかもしれない、という話をしたい。


話は少年時代に遡る。


中学時代、ぼくは「格好良くない」男子だった。
思春期に入り、くせ毛が強くなって髪の毛は基本的にボサボサ。
女子にはキモがられ、露骨に触れたくないオーラを出されていた。
私服の8割方は親戚からのお古。

自分という意識を形作り始める思春期に、「自分はダサい」ことがデフォルトで育ってきた。

ところが最近、ゲイノンケ問わず「ちかひらくんはモテる」と言われたりする。
それが内面なのか外見なのか複合してなのかはわからないけど、
少なくとも人並みに好意を持ってもらえる人間にはどうやらなっているらしい。

でも、自分ではほっとんどそうは思えない。
思春期のころの、「自分は格好良くない」という意識がまだ権力を握っているようだ。


これは服装にも言える。

「どうせダサい自分が選ぶのだからぼくがいいなと思ってもダサい服なんだろうし、
仮に格好良い服だったとしてもダサい自分が着たところで不釣り合いだ」
と心の底で無意識に思い込んでしまっている自分がどうやらいるようだ。
その結果、うまく服を買えない。


話をイカホモに戻そう。

自分の顔やファッションセンスにコンプレックスを持っているぼくは、
ゲイ世界に入った今でも、当然のごとく悩みは続いている。

ゲイ世界での「モテる人」の典型である「イカホモ」の方々。ぼくももちろん好き。
そういう人達は短髪が似合ってて、ヒゲがいい具合に生えてて、
ワンポイントかわいい服装を着こなしている。

一方でぼくは、
くせ毛だしキャラ的にも短髪はそんなに似合わない(かといってくせ毛なので長髪はボッサボサ)。
ヒゲは薄いので生やしたところで意味が無い。
こんな僕がかわいい服を着ても似合うワケがない。

というマイナスな思考がまとわりついている。



どうやってもぼくがたどり着くことのできないモテスタイル。
諦めと羨望とが浮かび上がる。



きっと、まだゲイという自分に自信がないんだろうな。
「恰好いい」という要素の無い(と思い込んでいる)自分に。

自分に足りないものを持っている人を羨ましく思うのは人間の常だ。
ぼくの場合はそれがイカホモに向かっているのかもしれない。

イカホモの方たちが、うまく服を着こなして、ゲイ活動を謳歌して、人生楽しそうにしている。

青春らしい青春もなく、ゲイ活動もそんなに経験は多くない。
うまくやってる人を見ると自分が情けなくなる。
「ぼくも、格好良ければ、楽しくゲイライフを過ごせるのに。」



今日、 トミー ヒルフィガーとカンタベリーの服を思い切って購入してみた。
さんざん悩んだ挙句にね。

どちらもゲイによく好まれるブランドで、
実際に見てみると自分にとってもお気に入りのデザインが多い。人気なのも頷ける。

まずは見た目から、「イカホモ」要素を取り込んでみる実験だ。
結局チョイスは無難なのに落ち着いたのかもしれないけれど、
「ゲイらしいアイテムを増やしていく」という意識が、なんだかぼくに刹那的な安心感を与えてくれそうだ。


なにかポッカリと空いた穴を埋めたいのかもしれない。
焦っているのかもしれない。

とりあえず一度、思いっきりゲイっぽくなってみよう。
一度経験することで焦りが消えて、その後落ち着いて自分を固めていけるかもしれない。
最終的にそこから遠ざかってもいいさ。


とりあえず次は、彩度の高めのボクサーパンツを買ってみようかな。
値段も、トミーみたいに高くないから、ね。



一時代の終わり

こんにちは、ちかひらです。
生きてますってば!

・・・毎度「お久しぶりです」から始めちゃうので、たまには違う雰囲気にしてみました。
生存報告として、つらつらと書きます。


先日、ゲイ方面でかつてコミュニケーションツールとして大いに利用されたSNSが閉鎖されましたね。
メンミク。


ぼくがゲイ自覚して、大学のLGBTサークルの仲間からメンミクに誘われたのが2010年の終わり、かな。
かたくて暗~い日記ばかり書いていた。
使いこなす前に、1年くらい経って、多くのユーザーと同じようにそのままTwitterに移行した。

ぼくの場合は、このブログを始めたことで、メンミクに書くことが無くなっちゃったというのもあるけれど。


メンミクはぼくにとって何の影響もないものだったかといえば、そうではない。
いまだにTwitterで仲良くしているゲイ友さんで、メンミク時代からの付き合いというのもそこそこいるし、
ナニが初々しいぼくに色々と教えてくれた人はメンミクつながりだ。

そしてなにより、ゲイ活動をはじめたばかりのぼくが、他のゲイの人の動きを見る唯一の手段だったんだよね。
そういう意味で、今思い返してみれば、メンミクはぼくのゲイとしての赤ちゃん時代を支えてくれた
大切なSNSだったんだなと感じる。


メンミクとTwitterの違い、それぞれのメリット・デメリットについては他所でさんざん語られている通りだし、
それについては蛇足となるのでここでは省く。



今はTwitterとブログでうまくやってるよ。
でも、君との思い出はきっと忘れない。メンミクくん、ありがとう。



かつての恥ずかしい日記がもう読めないのはさみしいけれど、
ネット世界のどこかに残骸が残っているのかなぁと思うと、
なぜか海洋散骨を思い出したちかひらさんでした。

はい、骨とともに話もどこかに散ったようで...
ではさいなら。




同性婚シンポジウムに行ってきました

同性婚シンポジウム

昨日の2015年4月25日に、LGBT支援法律家ネットワーク有志主催の
『憲法学者・木村草太准教授と同性婚を考える ~二人で生きる未来のために、ひとりひとりができること~』
を聞きに行ってきました。

休日出勤の危機が迫ってましたが、午前中だけにとどめることに成功。
なんとかギリギリ参加できました。ε-(´∀`*)ホッ
会場は200人近い聴衆でいっぱい。メディアも来てました。注目度が高いんだろうなぁ。

というわけで、感想をまじえてレポをお届けします。



シンポジウムは二部構成。
第一部は木村先生による、「同性婚の憲法論」の講演、
第二部は当事者を交えたパネルディスカッションでした。


<第一部>
「憲法24条同性婚禁止説は、そもそも文言解釈のレベルで成り立たない」

木村先生の端的でわかりやすい語り口で、
憲法・民法からは同性婚が「禁止」されてはいない、ということを説明されてました。

◆ そもそも法律婚とはどういう契約なのか?
①共同生活契約 : 同居義務、相互扶助義務の設定
②性的独占契約 : 貞操義務の設定
③子女養育契約 : 嫡出推定、共同で養子をとる
④遺言設定契約 : 法定相続分と遺留分の保障
⑤契約の公示 : 戸籍、住民票の記載

結婚すると、以上の契約が成立するそうです。
現行のこの仕組みでは、同性間であっても、①と②は認められているそうで、
つまり、”部分的な”同性婚制度はあるっちゃあると言えますね。
ただ、それを公的に説明する手段は無いわけです。

また、仮に同性婚の制度が出来た場合、上記の異性間のものとは全く同じにはなりません。(③の部分)
なぜなら、同性間には生物学的に子ができないから。


◆ 憲法の同性婚禁止説について
木村先生によると、「憲法が同性婚を禁止している」とは文言解釈のレベルで成り立たない、とのことでした。

憲法24条1項
「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、・・・」

この条文の「婚姻」「両性」に注目して、幾つかの解釈を導いていきます。
論理的に、端的に読み解いていく様子がなんだかとっても説得力あったなぁ。

<一つ目の解釈>
①「婚姻」を「異性婚」を意味すると捉える。
②その場合、「両性」は「男女」のことを指す。
→ 「異性婚は、男女の合意のみに基づいて成立し、・・・」
  という当たり前の文になるが、この場合、同性婚については何も言及していないので、
  同性婚を保護してもしなくても違憲とはならない。

<二つ目の解釈>
①「婚姻」を「異性婚および同性婚」を意味すると捉える。
②「両性」が「男女」を意味すると捉える場合
→ 「(異性婚および)同性婚は、男女の合意のみに基づいて成立し・・・」
  という意味不明の文になるのでこの解釈はありえない。
→ つまり「両性」は「男女」「男男」「女女」を意味すると捉えられる。
  この場合、同性婚を保護しないと違憲となる。

というわけで、木村先生の説明によれば、憲法からは
① 同性婚については言及していない
② 異性婚・同性婚どちらも保護しなければならない
の2つの解釈しかあり得ず、同性婚禁止の結論はどうがんばっても導けない、のだそうです。

法律や憲法の解釈の手法をはじめて聞いたのですが、
大学の論理学の授業を思い出しました。面白いなぁ。


◆ 民法について
さらに、民法では同性婚についてどのように規定されているのか、という話もありましたが、
ちょっとややこしくなってうまく説明できそうにないので、箇条書きにてご勘弁ください 汗

・同性婚について、民法では禁止する規定は無い。

・同性婚を作ると、嫡出推定に関しての法律との間で不都合が起こりそうだが、
性同一性障害の男性についての過去の判決で解決済みにつき、問題なし。
※嫡出推定:女性から子が生まれた時、結婚している場合はその夫がその子の父であることを手続き無しに認知できる。FtoMの性同一性障害の男性と女性とが結婚し、女性が子を産んだ際にも、その夫(もと女性)にも嫡出推定が及ぶとの判決がされた。つまり、生物学的な父でなくても嫡出推定が及ぶと判断された。

・憲法では、「すべて国民は、法の下に平等であって、・・・」と規定されている。
異性婚と同性婚の区別をすることが合憲か違憲かは、両者を「区別」と捉えるか「差別」と捉えるかによる。

①「区別」側の意見:同性婚は「あるべき家族像」「理想の家族像」から外れている。
 この像に合致する異性婚と合致しない同性婚は、区別して問題ない。
→あるべき家族像の範囲を広げ、同性婚もそれに含まれると捉えると、差別だと判断可能。
 ただし、結局この像から外れる人は残ってしまい、根本的な解決にならない。

②「区別」側の意見:同性婚は子を作らないため、社会の利益にならない。
 子を産み、社会の利益となる異性婚とそうでない同性婚は、区別して問題ない。
→養子の引き取り手の増加等、同性婚はむしろ少子化対策となり、有益であると捉えると、差別だと判断可能。
 ただし、この場合だと結婚という制度が、社会的に有益かそうでないか、子を育てられるか、だけで議論されてしまう。
 有益だけで考えると、究極的には強制結婚までいってしまうが、これは合憲なのか?という話に発展する。

よって、「あるべき家族像」や「社会に有益かどうか」という概念を持ち出すことが差別である、
と考えるのが妥当。

「同性婚によって問題が起きるとしても、それでもなお、
個人の尊厳のために保護する、と考える方が筋が良いように思われる」
ときっぱり語った木村先生でした。

結論として、技術的には同性婚制度の法律を作ることは可能だそうです。
でも、日本の場合、「婚姻」と「子」の制度がくっついていてややこしい、
子の福祉については切り分けて考える方が良い、とのこと。


<第二部>
同性婚についての動きに無関心にならないこと

当事者(レズビアンカップルの二人、ゲイの牧師さん)、木村先生、山下弁護士の5名で
パネルディスカッションが行われました。
様々な観点やテーマで同性カップルの日常、困ったこと、同性婚について思うこと等が話されて、
笑ったり、驚いたり、共感したりと、聴衆側もなかなかの熱気を感じました。

こちらも印象に残った話を箇条書きにて。

・同性婚という名前にこだわらず、当事者が何を求めているのかを見出すことが大事。

・住まい探し、ご近所付き合い等で、いちいち二人の関係を説明するのがしんどい。
ご近所付き合いではある程度信頼関係を築いてから話すようにしている。

・パートナーに万が一のことがあった場合、
家族にカミングアウトしてないと「他人」として振る舞わざるを得ず、不都合も多い。
→同性婚の制度があれば、二人の関係を公的に説明できるはず。

・震災時、避難するときに同性カップルはどう扱われるか?
東日本大震災の時、関係をクローズにしている同性カップルが仮設住宅に住んだが、
周りからホモカップルじゃないかと噂をされ、囃し立てられた。
→二人は自死。(会場は騒然としてました...)

・結婚式は慎重に。なんといっても「結婚」は重い。
(ゲイの牧師さんのもとに、結婚式の相談がよく来るそうだ)

・社会的差別は法律ではどうしようもない。法律が社会を変える一面もあるが...。

・同性婚が認められている国と、認められていない国のカップルの場合、配偶者ビザとか、手続きがかなり大変。

・渋谷区の「同性パートナーシップ条例」は、二人の間に現行の契約があることを説明しやすくするものであり、同性婚制度とは違う。憲法とも関係ない。
あのニュースは世論を動かした。この動きを無視したり、無関心にならず、うねりを作っていくことが大事。

・同性婚を認めないことに関して、違憲訴訟が起きれば、違憲書を書きます、との木村先生の心強い言葉が。
また、裁判の結果にかかわらず、訴訟を行えば、論点が整理されるメリットがあるし、立法が動くことも多い。

・山下弁護士からは、LGBT支援法律家ネットワークは現在、同性婚を認めるようにと「人権救済申立」を行う準備をしている。→みんなで支援しよう。


以上、配布資料と自分のメモから、長々とレポを書いてみました。

同性婚は憲法では禁止されてはいないことが力強く説明され、期待が膨らんだように思います。

いまは単に「一緒に住めるだけでいい」かもしれませんが、万が一のときに、あって助かるのが制度です。
利用するしないにかかわらず、「制度はあったほうがいい」とレズビアンカップルの方が仰ってました。

そして、当事者自身が無関心にならないことが、何より大事だと思います。
近い話題すぎて、一周回って無関心になってしまうのはあるとは思いますが、
個人レベルでできること、考えられることは沢山あるはずです。


今日は原宿で東京レインボープライドが開催されましたね。
社会に、同性愛者の存在を示し、そして、自分たちが何を求めているのかを話し合い、発信していけたらなと思います。



<参考サイト>
憲法が同性婚を禁止? 憲法学者・木村草太さん「そんな説はお笑い。今日でおしまい」|弁護士ドットコムニュース
http://www.bengo4.com/topics/3017/

同性婚シンポジウム2


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