ゲイの世界、ノンケの世界

この連休で、親戚が大勢集まって温泉旅行へ行った。

知らないうちに、従兄弟たちに次々と子供が生まれていた。
わが一族は、空前のベビーブームである。
姉貴はとっくに二人育てているし、
兄貴も結婚して一年になるのでそろそろだろう。

親戚と会うとき、「彼女はできたか?」は決まり文句だ。
彼女どころではない。ぼく以外みんな結婚している。完全に取り残されてしまった。



以前、まだ兄弟や従兄弟たちが独り身だったときと違って、
いまでは各人が子守りに追われ、子供第一で動いているんだなと思った。

子供がグズってもなんとかできる場所で集まろう、
子供のご飯のことがあるからこの時間帯で集まろう、
温泉は交代で入ろう。

もちろん、親世代も孫のことを優先して考え、身を犠牲にして行動する。

私生活でもそうだ。
子供のためのおもちゃや服、安心な食材、各種習い事。
日々の支出や活動の大半を自分じゃなく子供に注ぐ。

それが当たり前の世界。



一方、自分はどうだろう。ゲイはどうだろう。

子供という存在ができない以上、
たとえカップルで同棲したとしても、
ノンケ一般家庭のような、自分以外の者を中心とした生活にはならない。

共有できる時間を大切にしつつ、お互いのプライベートな時間も大切にするような、
あくまで自分主体の生活の延長線だろう。

楽といえば楽。つまらないといえばつまらない。


ふだん、SNSなどでゲイ・コミュニティやオタク・コミュニティ(どちらも独身率高し)を見ていると、
趣味の時間など、自分を主体とした活動時間が多い。

それに慣れきっている自分。
そういう暮らしが理想だと思っている。


そして、親戚の集まりでいつも現実に引き戻される。
世間は、そうではないんだよ、と。




とまあ、暗い話になってきたけど、ぼくはこの話を「子供を作れ」に持って行きたくはない。
ゲイである以上、無理だから。

そうじゃなくて、最近の自分が、あまりにも思考のベクトルが自分に行き過ぎてやしませんかと
自問したいのだ。

人生のうち多くの時間を自分に使える以上、
自分が成長しなければ、自分がいい人生を送らなければいけないという強迫観念に
囚われてしまっている自分がいる。

内向きのベクトルに、わりとしんどくなってきている。

もっと、自分以外の誰かに目を向けて、自分から逃避してみてもいいんじゃないか。


自分の時間を大切に、と叫ばれている時代に逆行しているようだけど、
今の自分には、もう少し自分以外の時間を大切にしたほうがいい時期に思う。

具体的に何をすればよいのかはわからないけど、
ちょっとそうした気持ちだけ頭の片隅において、楽な気持ちで日々をすごしたい。

親戚の集まりにいって、ああ、みんなもやってるやってる、と落ち着いて笑えるように。























ゲイ自覚から5年が経ちました

どどーん!


なんとなんど、ぼくがゲイ自覚してから5年が経ちました!
5年ですよ。
なんかすごく遠い過去のように思われます。


あれは2015年10月29日の深夜のこと。

大学のサークルの飲み会で、いつもどおりゲイネタでからかわれるぼく。
いつもは笑って「そんなことないよ~」と否定していたのですが、
その時はなぜか妙に頭にゲイという言葉が残っていました。

中学のころから何度も何度もゲイ扱いされ、さすがに逃れられなくなっていたのは事実。
魔が差したのか、飲み会から帰宅して、ふとネットで「ゲイ」と検索してみたのがトリガーとなった。

その時、自分が心の奥深いところでずっと感じていた、男の人が好きなんだという本音を、
ヒットしたブログや掲示板の向こうのゲイたちが見事に文章化していたんですね。

それを読んで、昂揚感ととてつもない不安感に埋もれながら、
ぼくは自分がゲイであることをようやく自覚したのでした。


あれから5年。


絶望が、快楽が、焦りが、幸せが、涙が、希望が、ありました。
ノンケだったら絶対会わないであろう、地域も年代も違うお仲間さんと交流し、友達もでき、
友達に、家族に、カミングアウトしました。(いまはクローズド生活だけれど)
彼氏ができました。

いろんなことがあったなぁ。

あのころほどは「ゲイであること」に対して悩んだりすることは少なくなった。
確実に、ゲイだからこそ自分なんだと肯定的に思えるようになったなと思います。



このブログはゲイ自覚した翌年から始めているのですが、
自分の過去や現在の気持ちを文章としてまとめ続けていたということが、
自分のゲイライフをより良いものにしてくれたんだろうなと、自信を持って言えます。

そして、記事にコメントしてくれた読者のみなさんの応援も、力になりました。
ありがとうございました!


そして、これからのこと。

5年というと、会社でいえば、そろそろ中堅の仲間入り?ってところなのかな(笑)
どっしりと構えて、新しい局面を迎えた自分のゲイライフを作っていこうと思います。

今週末、新しい土地ではじめてゲイの人と遊ぶ約束をしてます。観光してきます。
友達になってくれるといいなぁ。



参考:
2011.10.29の記事「祝!ゲイ自覚1周年w
2011.12.08の記事「真実を知る


ノンケのふりして2丁目へ

なりゆきで、会社の同期のノンケに連れられて新宿2丁目に行くことに。
お目当てはオカマバー。

ゲイオンリーのゲイバーには何度かお仲間さんに連れて行ってもらったことはあるけれど、
ノンケや女性OKのお店は初めて。

そこに、ぼくは今回、“彼女持ちのノンケ”として訪れることとなった...。
今回はそのレポと感想を書いてみる。

---

先導してくれたノンケは、なぜかオカマ口調がうまく、何度かオカマバーに行った経験をもつ人。
彼はぼくがゲイであることは知らないが、そういうのに抵抗はないと察知してるようで、
二次会として行こうぜ、と誘われた。

他にくっついてきたノンケも数人。

2丁目に近づくにつれ、「怖えよ」「背後に気をつけないと」といったテンプレの台詞が飛び交う。
まーそりゃそう思うよね。
実はぼくゲイなんだよって言いたい衝動を抑えながら、ついていく。
何度か足を運んでいるおかげで2丁目周辺の地理感覚もついてきたが、それも隠しながら。


いよいよお店へ。
お店にはこっちウケしそうなママや店子さんがいて、
早速オネエ口調でトーク炸裂。

はじめこそビビっていたが、店子さんのさすがのトーク術で次第に慣れてきたようだ。
途中、ママの乳首をひとりずついじって採点してもらうという謎の遊びがあったり、
男同士のキスの話とかそういうのもあったけど、みんな思い存分楽しんでいた。



一方で、ぼくはもどかしさと居心地の良いような悪いような何とも言えない感情に囲まれていた。

ぼくは男が好きな男だ。立場としては店子さんと同じポジションである。
でも、同行者にはカミングアウトしていないので、ノンケと思われており、それを店子にも言っているので、
ゲイとしての発言はできない。

お客さんにはゲイ以外の方が多いので、店子さんに
「どうして男が好きなんですか?」「女と付き合ったことはないんですか?」
などの質問がよく飛んでいた。

店子さんの回答を横で聞きながら、頷くわけにもいかなし、かといって妙に知ってるような質問もできない。
せっかくこういう店に来たのだから、ぼくもゲイトークしたい。
でも、ぼくにはできなかった。

目の前にお仲間さんがいる居心地の良さと、そこにぼくが交じっていけない居心地の悪さがあった。

ぼくもゲイなのに。
ゲイの話がしたい。




会社の同期のみんなとは非常に仲良くしてもらっている。

はじめは恋人がいる(=彼女がいる)と言って、ゲイだと悟られないようにしていた。
そのおかげで安心して交流できたし、たまに同期の男子にボディータッチしても怪しまれなかった。

けれど、仲良くなってくると、そういった恩恵よりも、自分が嘘をついていることが辛くなってくる。
嘘をつくことで、同期との間に自分で壁をつくってしまっているのがよく分かる。

そうして、自己嫌悪に陥っていく。



思いつめてしまったぼくは、帰りがけに同期のホモくん(今回は不参加)にLINEを飛ばした。
「ノンケって分かんない。」
彼は、
「悩むことは悪いことでもないけど、もっと楽に考えることもあってもいい」
と答えてくれた。

ぼくはどうもくよくよと考えすぎる癖がある。
もっと楽に生きれるだろうか。

ノンケの一言一言に食ってかからずに。一喜一憂せずに。思い詰めずに。






隣の席に男女カップル(カップル以前かも)がいた。
彼らは、はじめてこういうオカマバーに来たそうだ。(デートでこういうとこ来るのもどうかと思うけど。)

まず、店子が全員男が好き、という事実に驚いていた。
それから、セックスの話、タイプの話、半生の話、自分はホモウケする顔なのかという話、
たくさん質問をして、店子さんも快く、面白く、そしてドギツく回答していた。

一般向けのバーなので、こういうお客さんは毎日のように来るんだろう。
そして、その都度同じことを繰り返し答えているのだろう。



「あなたはどうしてゲイなんですか?」
自分の存在について連日問われる心的ダメージって、けっこう大きいはずだ。
それを乗り越え、プロの店子として、笑いに昇華して笑顔でお客さんに届ける。
相当強いよ。

ゲイとしての自分とノンケとして見られる自分とのギャップに右往左往してくよくよしてる自分と、
あたかも気にしてないような店子さん。

比較することではないかもしれないけれど、知らない間にぼくは彼らに嫉妬していたのかもしれない。

みんな、悩みは持ちながらも、明るく生きてるんだよな。
変に思いつめて、辛い辛い言うよりも、楽しんじゃったほうがいい。


そう、楽しむこと。

その男女カップルの会話は、一般の人の考えるオカマ像を知れるという意味で、いい機会となった。
ノンケに扮する必要はないけれど、単独こういうオカマバーに乗り込んで、
知らないノンケさんと話をするのも面白いかもしれない。
ぼくは、そういう話が好きだからさ。

自分なりの楽しみ方を見出そう。



お店を出るとき、最後に「実はぼく、ゲイなんですよ」と心のなかで呟いた。
店子さんは、笑顔で「知ってたよ」と、ぼくのゲイとしての存在を認めてくれた気がした。







「イカホモ」願望

イカホモになりたい。

不定期に、そんなことを思う。


ぼくはよく、外見はあんまりゲイっぽくないよねと言われる。
服装もそんなにゲイゲイしくないことが多い。
短パンは脚が冷えるので持ってないし、いわゆる「かわいい」Tシャツも持ってない。
ゲイ自覚後に、多少は原色使いの鞄とかは買ったけど、それくらい。

このことに、ぼくはコンプレックスを抱いているのかもしれない、という話をしたい。


話は少年時代に遡る。


中学時代、ぼくは「格好良くない」男子だった。
思春期に入り、くせ毛が強くなって髪の毛は基本的にボサボサ。
女子にはキモがられ、露骨に触れたくないオーラを出されていた。
私服の8割方は親戚からのお古。

自分という意識を形作り始める思春期に、「自分はダサい」ことがデフォルトで育ってきた。

ところが最近、ゲイノンケ問わず「ちかひらくんはモテる」と言われたりする。
それが内面なのか外見なのか複合してなのかはわからないけど、
少なくとも人並みに好意を持ってもらえる人間にはどうやらなっているらしい。

でも、自分ではほっとんどそうは思えない。
思春期のころの、「自分は格好良くない」という意識がまだ権力を握っているようだ。


これは服装にも言える。

「どうせダサい自分が選ぶのだからぼくがいいなと思ってもダサい服なんだろうし、
仮に格好良い服だったとしてもダサい自分が着たところで不釣り合いだ」
と心の底で無意識に思い込んでしまっている自分がどうやらいるようだ。
その結果、うまく服を買えない。


話をイカホモに戻そう。

自分の顔やファッションセンスにコンプレックスを持っているぼくは、
ゲイ世界に入った今でも、当然のごとく悩みは続いている。

ゲイ世界での「モテる人」の典型である「イカホモ」の方々。ぼくももちろん好き。
そういう人達は短髪が似合ってて、ヒゲがいい具合に生えてて、
ワンポイントかわいい服装を着こなしている。

一方でぼくは、
くせ毛だしキャラ的にも短髪はそんなに似合わない(かといってくせ毛なので長髪はボッサボサ)。
ヒゲは薄いので生やしたところで意味が無い。
こんな僕がかわいい服を着ても似合うワケがない。

というマイナスな思考がまとわりついている。



どうやってもぼくがたどり着くことのできないモテスタイル。
諦めと羨望とが浮かび上がる。



きっと、まだゲイという自分に自信がないんだろうな。
「恰好いい」という要素の無い(と思い込んでいる)自分に。

自分に足りないものを持っている人を羨ましく思うのは人間の常だ。
ぼくの場合はそれがイカホモに向かっているのかもしれない。

イカホモの方たちが、うまく服を着こなして、ゲイ活動を謳歌して、人生楽しそうにしている。

青春らしい青春もなく、ゲイ活動もそんなに経験は多くない。
うまくやってる人を見ると自分が情けなくなる。
「ぼくも、格好良ければ、楽しくゲイライフを過ごせるのに。」



今日、 トミー ヒルフィガーとカンタベリーの服を思い切って購入してみた。
さんざん悩んだ挙句にね。

どちらもゲイによく好まれるブランドで、
実際に見てみると自分にとってもお気に入りのデザインが多い。人気なのも頷ける。

まずは見た目から、「イカホモ」要素を取り込んでみる実験だ。
結局チョイスは無難なのに落ち着いたのかもしれないけれど、
「ゲイらしいアイテムを増やしていく」という意識が、なんだかぼくに刹那的な安心感を与えてくれそうだ。


なにかポッカリと空いた穴を埋めたいのかもしれない。
焦っているのかもしれない。

とりあえず一度、思いっきりゲイっぽくなってみよう。
一度経験することで焦りが消えて、その後落ち着いて自分を固めていけるかもしれない。
最終的にそこから遠ざかってもいいさ。


とりあえず次は、彩度の高めのボクサーパンツを買ってみようかな。
値段も、トミーみたいに高くないから、ね。



一時代の終わり

こんにちは、ちかひらです。
生きてますってば!

・・・毎度「お久しぶりです」から始めちゃうので、たまには違う雰囲気にしてみました。
生存報告として、つらつらと書きます。


先日、ゲイ方面でかつてコミュニケーションツールとして大いに利用されたSNSが閉鎖されましたね。
メンミク。


ぼくがゲイ自覚して、大学のLGBTサークルの仲間からメンミクに誘われたのが2010年の終わり、かな。
かたくて暗~い日記ばかり書いていた。
使いこなす前に、1年くらい経って、多くのユーザーと同じようにそのままTwitterに移行した。

ぼくの場合は、このブログを始めたことで、メンミクに書くことが無くなっちゃったというのもあるけれど。


メンミクはぼくにとって何の影響もないものだったかといえば、そうではない。
いまだにTwitterで仲良くしているゲイ友さんで、メンミク時代からの付き合いというのもそこそこいるし、
ナニが初々しいぼくに色々と教えてくれた人はメンミクつながりだ。

そしてなにより、ゲイ活動をはじめたばかりのぼくが、他のゲイの人の動きを見る唯一の手段だったんだよね。
そういう意味で、今思い返してみれば、メンミクはぼくのゲイとしての赤ちゃん時代を支えてくれた
大切なSNSだったんだなと感じる。


メンミクとTwitterの違い、それぞれのメリット・デメリットについては他所でさんざん語られている通りだし、
それについては蛇足となるのでここでは省く。



今はTwitterとブログでうまくやってるよ。
でも、君との思い出はきっと忘れない。メンミクくん、ありがとう。



かつての恥ずかしい日記がもう読めないのはさみしいけれど、
ネット世界のどこかに残骸が残っているのかなぁと思うと、
なぜか海洋散骨を思い出したちかひらさんでした。

はい、骨とともに話もどこかに散ったようで...
ではさいなら。




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