煩悩遍路34日目「よう頑張ったな」―涅槃の道場―

34日目(1)

7月15日。
橋の下は風が強くて、涼しかったがテントの片付けが大変だった。



今日は五色台にある80番国分寺、81番白峯寺、82番根香寺を打つ予定。

昨日行こうと思っていたうどん屋さん「がもううどん」は8:30からの開店。
少し時間があるので、近所のコンビニのベンチで暇つぶしをしていた。
すると作業着のおっちゃんが声をかけてきた。

「兄ちゃんお遍路さんか。朝飯は食べたか?」
「まだです。これから近くのがもううどんに行こうと思ってて」
「がもううどんなら毎朝行ってるから連れてくよ」

なんと常連さんだった。お言葉に甘えて、車で連れてってもらう。
開店30分前だが、既に人が並んでいた。

おっちゃんに連れられて、開店より早くに店内に入る。
全員常連さんなのだろうか、各々が呪文のような言葉でうどんを注文し、トッピングをとる。
おっちゃんは立ったまま食べ、気づいたらおかわりもしていた。
ぼくもまごまごしつつ、教えてもらいながら注文(「温大」250円)。
空けてもらっていた大テーブルの真ん中の席に座る。

朝イチの常連さんの輪に入れてもらって、遍路に関する質問攻めにあい、うどんをすする。
「ここまで歩いてきたんかー」「頑張ったなー」
とても楽しい朝ごはんとなった。無理して昨日来なくて良かった。
大師さんは「ゆっくり行け、そうすれば出会いがある」と言っているのかな。
この時撮ってもらった写真には、良い笑顔をした自分が写っている。



ついに大台、80番札所国分寺。ここからは五色台への登山だ。
山の上の十九丁という三叉路で西に折れ、81番を打ってから同じ道を折り返し、
82番を打って、そのまま東から山を下るルートをとる。

ここは人によっては81→82→80という順番で打つ人も多いらしい。
まあぼくは例によって数字順。



今朝少し降っていた雨のせいか、ぬかるんだ泥にたまに靴が浸かる山道を進む。
十九丁~81番の途中で、向かいから…あの100日遍路のマサさんが歩いてきた!また追いつけた。
善通寺以降のお話を少ししてから、またお別れ。82番あたりでまた会えるかなぁ。



12時半、81番白峯寺に到着。
お参りを済ませ、境内でおにぎりを食べていると、おじさんが話しかけてきた。
「よう頑張ったな。悟れましたか?」
「いやー…(笑)」
「でもここまで苦労して来て、横から見てると、雰囲気持ってるよ」



来た道を折り返す。
歩き始めは足が痛いが、勢いがついてきたら無心でスタスタと歩ける。
考えたり山道を直視してるときつい。
人生と同じ。



15時前、82番根香寺に到着。
このお寺は、山中を修行の場とした山岳仏教がベースになっているということもあり、
木々に囲まれた神聖が雰囲気がとても良かった。カエデも多く植えてあるので、秋は綺麗だろうな。
お寺の前にある牛鬼の像も怖くもかわいかった。

納経所に行くと、係の人から「ちかひらさんですか?」と聞かれた。
どうして名前を…と不思議がっていたら、預かり物ですと、袋を手渡された。

『善通寺 カタヤキセンベイをどうぞ』と書かれた紙とお菓子。

マサさんがお菓子をぼくのためにと納経所に預けていたらしい。
良い人だ…。お寺の雰囲気も相まって、泣きそうになった。
こんな出会いもあるんだ。

人よりもゆっくり歩いているマサさんにとって、
二度以上会う歩き遍路仲間はあまりいないのかもしれない。
それだけに、ぼくとの“縁”を嬉しく思ってくれたのかもしれない。
自分の心のモチベーションを上げるための推測がかなり含まれているけど、
この縁はとても素敵なものに思えた。

結願したら絵手紙を出そうと決めた。



下山。
節電しているとは言え、スマホのバッテリーが予備を含めて減ってきて困った。
宿に泊まるしかないかな…と悩んでたら、近くにコインランドリーを発見。そこにコンセントが!
2日分の洗濯物も含め、まるっと解決。なんとかなった。

コインランドリーは地元の人との出会いの場。
香川の人は、ここまで頑張ったねと声をかけ、接してくれる人が多い。

お喋りしていた近所のおばちゃんから、夕飯に家で作っていたというお好み焼きと、
庭で採れた大きなトマト3個を頂いた。
お好み焼きについてはめちゃくちゃビビった。これまでのお接待の中で一番生活感があった。
ごちそうさまでした。



今晩も日帰り温泉へ。20時近く、さすがに辺りは真っ暗だ。
温泉代は安くは無いが、自分の中で優先度が高い。
お金は、その人が、価値あると思うものになら、ためらうことなく使えばいいと思った。



少し手前に戻って、広い川原の橋の下でテントを張る。
高松市まで来た。残るは、あと2日。

34日目(2)


煩悩遍路33日目「涅槃とはうどんである」―涅槃の道場―

33日目(1)

ぼくは讃岐うどんの大ファンであり、そこにうどんがあるから香川に来るレベルである。
遍路道沿いには多くのうどん屋さん、しかも有名店も結構揃っているので
これは食べないはずがない。

前日の夜に、ゲストハウスKのオーナーにアドバイスをもらいながら
うどん屋さんめぐりを組み込んだ今後のスケジュールを立てたのであった。



さて、朝イチで「宮川製麺所」へ。善通寺の近くにある、地元密着型のうどん屋さん。
うどんを店員さんから受け取ったら自分でチャッチャと好みの加減で茹でて、
大きなお鍋にあるいりこたっぷりのつゆを自分でかける、セルフスタイル。

ここはゲストハウスKに泊まる度に毎朝食べに来るのだが、
色々廻った結果このお店の「かけ」が一番美味しいとぼくは思っている。

注文したのは「かけ大」と、トッピングの丸天(350円)。
最高の朝。まぁ、前日の朝も食べたんだけどね。

ゲストハウスに戻り、荷物を準備してから出発。
この宿あっての今のぼく。また来ます!



76番金倉寺へ。
この近辺にはどちらも有名店の「はなや食堂」「長田in香の香」があるのだが、
営業時間・営業日が合わず、今回は見送り。
2軒とも以前食べに来たことはあるのでまあ良い。



そのままてくてくと多度津町から丸亀市を横断し、78番郷照寺へ。
その手前にある宇夫階神社の境内に、「うぶしな」がある。
ひっそりとした佇まいなので、見つけるのにちょっと苦労した。
11時開店。開店と同時に入店する。

このお店は、神社の息子さんがやっているらしい。
しかも、他の有名店で働いていたということで味にも定評があるとのこと。

ぼくは「かけ」を注文(250円)。平たいくねっとしたした麺で、おいしかった。
開店前に一緒に並んでいた勤め人のグループも、和やかに食べていた。



3軒目は、坂出市にある超有名店「日の出製麺所」。
なんと営業時間が11:30-12:30の1時間しかない。
うぶしなから駆け足で向かう。
少し遍路道から外れており、スマホの地図アプリを駆使しつつなんとか12:15に到着。
…間に合った。

さきほど食べたばっかりなので、「ひや小」を注文(100円!)。
ネギはハサミ(!)を使って自分で切るスタイル。これも人気の要因の一つだろう。
木曜日とはいえ、めちゃくちゃ混んでいた。
味は良かったんだけど、せわしなくて、あんまりお店自体を味わえなかったな。

お店から出ると、すっかり夏の空になっていた。
予定に入れていた「がもううどん」はここから6,7kmの距離があるが、13時半には閉まってしまう。
間に合いそうもないし、このために電車に乗るのもアホらしいので、諦めることにした。



坂出駅前の商店街をゆったりと歩き、ベンチで少し休憩していたら、「中で涼めますよ」と
おばさんから声をかけられた。そこは市の観光案内所だった。

中では冷茶とどら焼きのお接待をいただくことができた。
係のおじさんは遍路の先達さんだった。神聖とされる三葉松の押し葉をくれた。
山口出身のお遍路さんが、昔、ずっと遍路をし続けて、沢山の道標を作ったんだよ、とか、
88番札所では無くよ、とか、色々と話をしてくれた。

いい感じに涼んでいると、先ほどのおばさんが入ってきて、
近所で買ったというパンをお接待してくれた。
聞くところによると、出身はここだが今は別のところに住んでいるらしく、
お遍路は興味があるが詳しくは知らないそうだ。
係のおじさんの話を熱心に聞いていて、なんだかぼくも嬉しくなってきた。

ゆっくり歩いていたからこその出会いだなぁ。



30分ほど休憩してから、再出発。
近くの「こむぎ屋」といううどん屋がおいしいよと教えてもらったので、そこにも行ってみる。
これで昼食は3食目か…

「かやくうどん」を注文(260円)。かまぼこ、卵焼き、海苔が入った温かいうどん。
味は良かったけど、具が入っているとなんとなく讃岐うどんのイメージと離れる気がする。
他所の土地の人間の勝手なイメージだとは思うけど。
お店の雰囲気はすごく良くて、店員のおばあちゃんにはかなり癒やされた。



超満腹の状態で、ゆっくり歩いてゆく。
道沿いに、温泉の看板が立っていた。調べてみると、そう遠くない距離にある。
近くの川にかかっている橋の下でテントも張れそうだし、晴れているから増水もしないだろうし、
今日の行程はここで終了することにした。



16時、高台にあるS温泉へ。
服を脱いでいたら、おじさんが話しかけてきた。
大きなザックと金剛杖、そして真っ黒な肌を見ればぼくが歩き遍路だということはすぐ分かる。

おじさんは、大手化学メーカーに勤めていて、来年定年で退職するらしい。
お遍路のことや、この地域のこと、それからぼくの仕事や人生に対する悩みなどについて話した。

「なるようになるから焦らずに」
「若さは価値。可能性は沢山ある」
「仕事はスイッチの切替えが大事。趣味や友達を作って、有意義なオフの時間を持とう」
「君は頭がいいから余計なことを考える。先々のことは置いといて、まずは目の前の仕事に励もう」
「うちの会社、入る?(笑)」

眼下に広がる川と五色台の山々の景色を眺めながら、長い時間、おじさんと話をした。
人生観について一家言ある人だった。

遍路旅で出会った様々な見知らぬ人達もそうだった。
みんな日頃から人生についてこんなに考えているのだろうか?
それとも、考えている人だから話しかけてくれるのだろうか?



温泉からあがり、例の川原の橋の下にテントを張る。
全然空腹になってなかったけれど、
お接待でいただいたパンと、スーパーで買ったプラムと豆乳で晩御飯とする。
ビタミンとタンパク質の補給は大事。



今日歩いたのは20km。食べたうどんは4杯。急遽温泉にも入れた。
完全に観光旅行になっている。
うどんや温泉といった観光要素がメインで、お寺のお参りはサブ。

でも心は穏やかだった。これが涅槃の境地だったりして。

「涅槃とはうどんである」
意:修行はいつしか物見遊山となり、心の平安がおとずれる

そんなメモをして、橋の下を吹き抜ける涼しい風を感じながら眠りに落ちた。

33日目(2)




煩悩遍路32日目「お接待という生きがい」―涅槃の道場―

早朝、椿堂と観音寺手前で会ったタケさんからメールが来た。
雨天につき仕事が休みになったという。
ちょうどぼくも今日は休養日としていたので、昼間に会うことになった。



雨が降る中、善通寺の境内にて待ち合わせ。
車に乗せてもらい、金刀比羅宮に連れてってもらう。

タケさんは40代。NPOで農業をしている。
子供の頃から喋るのが苦手で、いじめられっ子だった。
高校を卒業して働いたが、パニック障害が出て辞めた後は色んな仕事をしてきたそうだ。
善根宿のお手伝いも一年した。

「フリーターをやってられるのも若く体力のあるうちだけ」
「40歳にもなるとちゃんとしたところへの再就職は難しいし、
周囲はそれなりの地位や家庭を持ってるから…ちょっと後悔してる」
「でもパニック障害になったのも仕事が原因だから仕方ないんだけど」


金刀比羅宮に着いた。
雨がやんできたので、階段を登って本宮まで一緒に向かう。
ここからは市街を一望できる。

タケさんが住んでいる場所はここからは結構遠くて、車で1時間以上はかかる。
仕事が休みとは家わざわざここまで来るのは大変だったはず。
これもお接待の一環なんだろうか。



話を聞くところによると、彼は1日だいたい4時間くらいしか寝ていないらしい。
というのも、いつ死ぬか分からないし寝てる時間がもったいなく感じるからだそうだ。
それが原因か結果かは分からないけど、身体にガタが来てるとも言っていたし、
ある種の人生に対する「諦観」のようなものが感じられた。

逆に、だからこそライフワークとしてお接待を日頃からやっているとも思えた。
お接待をすることで、お遍路に来る全国の様々な人と知り合える。見聞も広がるだろう。
そうした生活はたしかに金銭的には不十分になり得るかもしれないが、
他の面で充実した豊かなものにはなる。
自分の行為によって、お遍路さんから感謝されるし、笑顔になってもらうこともできる。
誰かのために何かをすることほど、自分の存在意義を感じられることはない。

金銭面、仕事面、身体面での充実に諦めを持っているタケさんは、
お接待による人との出会い、そして感謝されることを通して、
自分の人生の意味、そして存在意義を自ら作り上げようとしているのではないだろうか。

色んな人からお接待をしてもらっていてこんなこと言うのも良くないかもしれないけど、
お接待をしてくれる人は少なからず「陰のある」動機を有しているのかもしれないという可能性も感じた。



こうした考えを基にすると、
椿堂、観音寺、今朝のメールはどれも、
タケさんがお接待をしようと思ってたからこそ発生した出来事で、
偶然の再会でもなんでもない、と言うこともできる。

字面だけ見ると、なんだかドライな考え方なようにも思えるけど。
何でもかんでも「会うべくして会った」とか思いがちだった当時の心境からすれば
ある意味冷静な視点を持つことができたきっかけなのかなぁとも、今では思える。



近くのうどん屋さんで昼ごはんを食べ、お喋りしたあと善通寺でお別れをした。
お遍路に関するいくつかのTV番組をDVDに焼いたものを2枚もらった。
知り合ったお遍路さんによく渡しているらしい。
帰ったらきみの家にもっと送るね、とも。

ありがとうございました。



タケさんの話を聞くと、正直、今後どう生きるべきかまた分からなくなってきた。
自分の好きなこと、やりたいことをやるのはいいとして、
その芽が出ないまま中年を過ぎると諸々問題も生じてくるということを知った。
金銭的問題もある。
かといって四国に住んでるわけじゃないから、お接待で自己実現するという手段はとれないし。

彼だけじゃないけど、この旅で出会ってきた色んな人が言うことの共通点は、
「いつ死ぬのか分からないのだから」というフレーズ。
その続きは…自分の言葉で表して、自分で納得がいくように表現できるだろうか。

とりあえずは、生産性とか成果とかそういうのは置いといて、毎日を大切に生きることかな。
若い時期のこの歩き遍路は決して無駄にはならないから。
というか、無駄にしないような生き方をする。



日が暮れる前に、善通寺でスケッチをした。
ゲストハウスのオーナーにプレゼントすると喜んでくれた。

人からの感謝の言葉を以って、ぼくも自分の価値を見出していく。

32日目


煩悩遍路31日目「はじめから、決まっていた。」―涅槃の道場―

31日目(1)

「お遍路さん~!」
準備中のお店やさんのおばちゃんが後ろから大声で呼びかけてきた。
朝から飲むヨーグルトのお接待。
久々に青空が見える。今日も良い日になりそうだ。

歩いて一時間ほどで70番本山寺に到着。
五重塔は平成の大改修をしているらしい。
平成の大合併と並んで声に出して読みたい日本語。

納経所に行ったものの、人がいない。
何回か横にある鐘を鳴らしたりしたけどうんともすんとも…
その場に居合わせた車遍路のご年配の夫婦と苦笑いをしつつ、
大声で呼び出しまくっていると気づいてくれた。
そのやりとりが妙に面白く、記憶に残っている。



ここ三豊市は俳優の要潤のふるさとらしく、
写真と肩書(うどん県副知事、三豊ふるさと大使)付きの大きな看板が建物の上にあった。

というわけで沿道にあったこがね製麺所でうどんを食す。150円。
今後はうどん屋さんを見かけたら時刻関係なく入っていくスタイルに。



早咲きの向日葵を横目に、山に向かってなだらかな坂を登る。
11時半に72番弥谷寺に到着した。
観光客としてではなく、歩き遍路として。
2年半前のスタート地点に繋がったんだなぁ…。

一度来たことのあるお寺でも、遍路として来るとまた違った思い出となる。
大師堂は岩をくり抜いたような洞窟状になっていて、情緒ある場所だったし、
階段ばかりの境内も、他の札所と比べると特殊なんだなと思った。
いや、そもそも前来た時は大師堂なんて名称すら気にもしてなかったよな。



あの冬の日と同じ山道を歩く。
所々見覚えのある景色がある。

遠方に讃岐富士が見えた。香川に来るたびに見たし、2回登った山。
あの山を見ると香川に来たなと思う。
ぼくにとってすっかり馴染みの土地になった。



72番曼荼羅寺を抜け、73番出釈迦寺へ。
今回も捨身ヶ嶽禅定まで登る。
麓の納経所で荷物預かりますよと言われたけど、なんとなく修行のつもりで担いできた。
汗がとまらない。

前回は雪で諦めた、その先の岩場にも挑戦した。
…ロッククライミングかよ。
思った以上に険しいし、15kgのザックと暑さと湿気がきつい。
正直、ここはザック担いでくる場所じゃない。

自分で勝手に無茶して自滅しそうになるパターンをまたやってしまう自分が嫌になる。
こういうのをもっとテキトーにできるようにしていかなければと思った。

雨が降れば青空が見たい、晴れたら暑いのは嫌だ、登ればキツい、と言う。
人間、そんなものか。
でも、降りてきた時のそよ風の涼しさが心にしみる事実もある。

そんなことをメモ帳に書きとめながら、
熱中症寸前だったぼくは納経所のクーラーで涼ませてもらった。
ぼくを見かねてか納経所の方がお茶でも買ってねと200円接待してくれた。
その分と併せて、ペットボトル2本を一気に飲み干す。



出釈迦寺で予想以上に時間をくってしまった。
74番甲山寺に着いたのが16:30。
今日中に善通寺まで打っておきたかったが、納経のタイムリミットまであと30分だ。
距離は1.6km。さて間に合うか。

ゆっくり歩いていたじいちゃん遍路は善通寺は諦めて今日は甲山寺で打ち終わるという。
頑張ってみます!と宣言して、ぼくは善通寺へと向かった。

見覚えのある町並。見覚えのある道路。見覚えのあるうどん屋さん。
急ぎ足で駆け抜けてゆく。
そして、ぎりぎりのタイミングで75番善通寺に到着。

4回目にして、やっとお遍路としてやってきました。
そう報告して、静かになったお寺をあとにした。



17時半、ゲストハウスKを訪れた。
宿泊するのは5回目。宿泊日数でいうとたぶん7泊目。
この宿に歩き遍路として来たんだという不思議な気持ちがする。

お遍路をしてきたからこそ分かる、この宿の素晴らしさ。
そして「帰ってきました」という故郷のような感情。
前回来たときに言った約束、果たせましたよ。「次はお遍路として来ます」と。

今回もまた、家族総出で迎えてくれた。
仕事のことも色々気にかけてくれているし、お遍路での経験も聞いてくれた。



買ってきた夕飯を食べていると、2階から降りてくる聞き覚えのある男性の声が。
なんと、愛媛の内子で一緒に鯛めしを食べた100日遍路のマサさんだった!
3日前民宿Oで名前を聞いて以来、そのうち追い抜くかもと思っていたが、
まさか宿で再会するとは。
ご縁ですなぁ…。

「君もかなりゆっくり歩いてたんだねぇ」と言われたけど、
「ぼくは2週間家に帰ってました(笑)」というオチ。

マサさんも含めてお遍路話に花が咲く。
笑顔がいつまでも続く夜だった。



旅先では、どうしても出来事に意味づけをしてしまうものらしい。

思えば3年前、四国一周スケッチ旅の最初と最後の宿がここだった。
あの旅で、一人の長旅の楽しさを知った。

次の冬の宿泊では7ヶ所まいりをすることになった。
オーナー夫婦には沢木耕太郎の『深夜特急』という本を教えてもらった。
26歳は旅をする年齢だ、と作者は書いていた。

そもそも四国に旅をするきっかけをくれたのは宮田珠己の『だいたい四国八十八ヶ所』で、
まさに遍路ド直球の本だった。


偶然のことも、自分で選んだこともある。
でも、ぼくが「26歳」で「歩き遍路」をするという未来が、
あの日にこのゲストハウスに泊まった時に確定していたのかもしれない。
すべてははじめから決まっていたのだ。

このゲストハウスとの出会いも、七ヶ所まいりも、本も、就職も、部署異動も、鬱も、休職も、
すべてがこのお遍路実現の未来へと収斂する…。



きっと現実には、
上で羅列した以外にどんな出来事があったとしても、お遍路は実現させたのだろうとは思う。
深層心理でずっとお遍路がしたいと思い続けていたから。
その実現手段や形は何であれ、人は生きたいように生きている。



連泊することにした。明日は雨だし、休養日にする。
「涅槃の道場」2日目は、幸せな感情に浸りながら終わった。

遍路旅の残り日数は片手で数えられるほどとなっていた。

31日目(2)


煩悩遍路・番外篇「雪の七ヶ所まいり」

EX日目

2013年7月末。
学生最後の夏休み。

大好きな旅エッセイスト宮田珠己の『だいたい四国八十八ヶ所』に影響を受けたぼくは、
研究の合間を縫って、気まぐれひとり旅をしようとしていた。
行先は未踏の地、四国。
ついでにスケッチもしてみよう。スケッチ旅なんて、楽しそうじゃないか。

香川から始まったその旅は、電車やバスで各地の民宿やゲストハウスを繋いでいく。
はじめての土地、はじめてのひとり旅。
うどん、瀬戸芸、祖谷渓、お遍路さん、渦潮、室戸岬、カツオ、龍馬、
鍋焼きラーメン、道後、村上水軍。

絵を描いていると色んな人から話しかけられた。
ゲストハウスでは色んな人と交流できた。色んな人生を垣間見た。
旅の素晴らしさに浸りまくった2週間だった。

スケッチ旅の様子↓
<http://dimensionf.web.fc2.com/landscape.html>




2014年2月中旬。
あれから半年が経った。
修士論文の発表が終わったぼくは、香川の善通寺市にあるゲストハウスKを再び訪れていた。
半年前の旅で、初日・2日目と最終日にお世話になった宿。
ひとり旅ビギナーだったぼくにとって、この宿ははじめてのゲストハウス体験の場でもあった。

今回も一家揃って歓迎してくれた。
夏の旅はここから始まったんだよなと思い出して、その居心地の良さに改めて笑顔になる。
閑散期ということもあって、2泊とも宿泊客はぼくひとり。

オーナーに翌日することの相談をする。
うどん屋さんは今日何軒か行ったし、讃岐富士も登ったし…と言っていると
歩くの好きでしょう、と「七ヶ所まいり」を勧めてくれた。
それは、ここ善通寺近辺にある霊場七ヶ所(71番から77番まで)を1日で巡礼するというもの。
プチお遍路体験か。面白そうだ。



翌朝、弥谷寺まで車で送ってくれた。雪が積もっている。
「このへんで積雪が見られるなんて何十年に一回やで」と肩を押してくれた。
いっちょ歩いてきます!

雪の弥谷寺は黒い緑に包まれ、神聖で厳かな雰囲気だった。
迷路のように階段が張り巡らされた境内を歩く。

そこからは山道に逸れ、曼荼羅寺へと向かう。
地図は持ってないが、遍路道のマークがあるから迷わず行けるよ、とオーナー談。
たしかに、至る所に赤いマークがある。こんなのが四国中にあるんだ。

曼荼羅寺にはバスのお遍路さんの団体さんがいた。お経の声量がさすがで、圧倒される。

出釈迦寺の奥の院として、山の上に「捨身ヶ嶽禅定」がある。
山と聞けば登らないわけにはいかない。
…と登ったはいいが、傾斜のきついコンクリ道で、しかも雪が5cmは積もっている。
滑るのを用心しつつ、上まで辿り着いた。
眼下には善通寺市街が一望できた。凄いところに来ちゃったなぁ。

さらに奥には行場があって、岩肌が露出していた。
さすがに生命の危険を感じたのでその先はやめておく。また季節のいいときに来ればいい。

そこからは甲山寺、善通寺、金倉寺、道隆寺と順にお参りしていった。
途中にあるうどん屋さんにも4軒寄った。
7~8時間かけてフィニッシュ。膝がガクガクだが、歩くのって楽しい。

お遍路の恰好もしてないし、読経も納経もしてない。
地元の人と何かしらの交流をしたわけではない。
でも、遍路道を歩いてみて思うことがあった。

国道や県道の他にパラレルな存在として遍路の為の道があって、
しかもこの道が四国を一周しているなんて、不思議だし、すごい。
半年前に四国各地で出会ったお遍路さんはみんな、この道を通ったんだな、と。

今日以上の距離を毎日40日以上歩き続けられるか、というのは置いといて、
いつか自分もお遍路をやってみたいなと思った。いつか…



夜も、オーナー夫婦と旅の話をずっとしていた。
半年前のぼくの旅の話。むかし2人が旅した国の話。この宿に泊まる人々の話。

その話の中で、沢木耕太郎の『深夜特急』という本を紹介してくれた。
ユーラシア大陸をデリーからロンドンまでバスだけで旅をするという、
作者の実体験を元にした酔狂な旅物語。

一昔前に日本中の旅人の間で大ブームとなり、真似してアジア放浪旅をする人も多かったそうだ。
いまでも旅人のバイブルとして読み継がれている。



つい半年前まで縁のなかった「旅」。
いまやどっぷり旅の魅力に取り憑かれている自分がいた。
でも、こうしてまた旅に出てきて、旅の先人たちと交流している時間が何よりも楽しかった。
もっとのめり込んでもいいのかもしれない。

半年前の旅の最終日、
このゲストハウスに同泊していたガチの放浪おじさんから言われた言葉を思い出す。
「君はいつか会社辞めるよ。もう旅の病気にかかってる」
旅病という言葉を知ったのもその時だった。


旅帰りの電車の中で、真っ暗な車窓を眺めつつ、早速買った『深夜特急』を読んだ。
かなり毒気のある物語で、その独特の世界観に引き込まれていく。

1巻の巻末の対談で、作者は26歳のときにはじめてこの外国への旅をしたと語っている。
対談相手もたまたま26歳ではじめて外国に旅をしたらしい。

26歳くらいが外国へ「旅」をするのにちょうどいい年齢だと言っていた。
もちろん、自分達の経験を正当化するため(と彼らは言っている)という側面はあるけれど、
いち読者としてはその年齢が輝いて見えたのだった。



26歳の旅か…。その時ぼくは何をしてるんだろう。

七ヶ所まいりを終えたぼくは、頭の片隅に四国遍路という瘤を抱いたまま、
その春、就職した。

24歳の時のことである。


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