煩悩遍路12日目「塞翁が馬」―修行の道場―

なんとか雨は止んだ。

気づけば高知県に入って5日が経とうとしていた。夕方には高知市街に着く。
今夜はシロさんの自宅に泊めさせてもらうことになっていた。
それを楽しみに、本当に楽しみにして、歩く。歩く。
なんと単純な生き物である。

さすがに洗濯をさせてもらうのは悪いだろう(歩き遍路は汗ばんでかなり臭いのである)と思い、
たまたま見つけた香南市のコインランドリーへ。

朝から歩いてまだ1時間くらいしか経っていないけど、休憩。
まあいいだろう。



洗濯と乾燥が終わるのを待ちながら、ぼくは今回のお遍路をいつ区切ろうかと考えていた。
お遍路を再開してからまだ1週間経っていないが、足は痛いし、雨も多くなりそうだし。

区切るときに重要なのは、その中断地のアクセスだ。
ぼくの場合は大阪経由で四国入りするので、
大阪からバスや電車で来やすい(再開しやすい)場所が理想である。

その点、眼前には都会・高知市が迫っていて、もちろん好アクセス地である。
そして、ここを過ぎると、次はまたアクセスが著しく悪い地域がしばらく続く。

今夜、シロさんと会ってから決めようと思った。
高知市内を観光に連れてってあげるよと言ってくれていたので、あるいは数日高知に留まることになるかもしれない。



そんなこんなで小一時間経ち、衣類がさっぱりきれいになったところで、歩き再開。
そこから1時間半ほど歩き、28番札所大日寺に到着。
昨日の早朝の神峯寺から24時間以上ぶりのお寺だ。
ここからはしばらくまた、お寺の間隔が狭くなる。

…とそこに、ヤマさんが追いついてきた。

お お お!

なんということだろう。
コインランドリーで時間を潰したおかげで、ペースがまた同じになったのだ。
今日は、ともに喋りながら歩ける人がいる。昨日のように一人ぼっちじゃない。
ただそれだけのことなのに、無性に嬉しかった。

お参りと納経をすませ、2人で休んでいると、さらにリクくんが追いついてきた。

お お お お!

今日は良い日になりそうだ。



ふと携帯を見ると、不在着信があった。
バッテリー残量節約のため、普段は電波OFFにしているから気づかなかったのだ。
ん?シロさんからだ・・・。


・・・なんと、シロさんの身内に不幸があったそうで、今夜は泊めてあげられなくなった、とのこと。
ショックだった。
人が亡くなるって、そんなこと、こんなピッタリのタイミングで、ありうるのか???

一気に気持ちを突き落とされた気分だった。
ぼくがシロさんちに泊まれるということでふしだらなことを考えていたとでもいうのか?
それに対する戒めとして弘法大師さんが謀ったのか?
それにしても人が死ぬっていくらなんでも出来過ぎやろ…

まあもうしゃあない、シロさんとはタイミング合わせて別の日に会いましょうということになった。

それよりも問題なのは今夜の宿である。高知市内のような都会では野宿はしにくい。
以前四国旅をしたときにお世話になったゲストハウスに、ダメ元で電話してみた。
すると、奇跡的に部屋が空いていた!

とりあえずは一安心。
まあ、ひさびさにあのゲストハウスに行ける事になったということで、それなりに楽しみではある。
それにしても、急な展開だな。



そこからはヤマさんと2人で歩きはじめた。
相変わらずヤマさんは体力がまだそんなに出来上がってないようで、
ゆったりペースで休み休み進む。
僕としても足に負担をあまりかけずに済むのでありがたい。
なにより、話し相手がいるのは、本当に良い。

リクくんは早歩き&長めの休憩、という変わったペースで歩いていたので、
彼とは抜きつ抜かれつ、だった。

ヤマさんとリクくんは昨日どのくらい接点をもったんだろう?
特に聞きはしなかったけど、顔見知り程度にはなっていた感じではあった。



昼過ぎに、29番札所国分寺へ。
その門前にお遍路用具店があった。

前から気にしていたこと。菅笠を買うかどうか、だ。
白衣と金剛杖は持ってる。

その場で散々悩んだけど、結局買わず、ヤマさんに笑われながらそのまま進んだ。



…ふと地面を見ると、四葉のクローバーがあった。

四葉のクローバー…
シロさんが、スペインのサンティアゴ巡礼で惚れられた若い女性からもらいそうになったという
四葉のクローバー。

そのシロさんにもらった帽子をぼくは今かぶっている。
そのシロさんと、今夜は会えなくなった。

きっと弘法大師さんからのメッセージだ。
シロさんという煩悩から己を解きなさい、と。(なんだそれ)

ぼくは決心した。菅笠を買おう。



ヤマさんとはどっちみちペースが違うから別々に歩こうと言っていたので、
ここで一旦お別れし、ぼくはちょっと戻ってお遍路用具店に行った。

はじめてかぶる菅笠。
お遍路の3種の神器が、これで揃った。

シロさんからもらった帽子をリュックの奥にしまいこむ。
それは彼との決別を意味していた。

そして、高知より先へ進もうと決めた。



そこからはサクサクと歩いて、ヤマさんを抜かす。
「菅笠、買いましたよ(笑)」

そしてついに高知市内へ…。

夕方、30番善楽寺に到着した。
少し遅れてリクくんもついた。
「菅笠買ったんですね~」

彼も今夜は高知駅近くの別のゲストハウスに泊まるようだ。
昨晩泊まったという善根宿のオーナーから勧められた宿らしい。

そこへ向かうべく、彼は土佐一宮駅へと向かっていった。



ぼくも、そこから30~40分かけて歩き、予約してたゲストハウスへ。

3年ぶりの宿泊。オーナーはぼくのことを覚えていてくれていた!
「まさかお遍路としてまた来るとは思わなかった~(笑)」
ってそりゃそうだよね。

夜は、これまた前回来た時にも行った居酒屋へ。
カツオのたたき、名物の巨大卵焼き、そして生ビール。

高知まで歩いて来たんだ。カツオを見ると、生々しい実感が襲ってきた。
そしてひさびさのお酒。疲れきった身体に染み込む。
なんだか、幸せで、泣けてくるようだ。

お店の人と、お遍路で歩いてるんですよ~と話していたら、
お勘定のあとにバナナをお接待してくれた。
心があったまる。

宿に帰ってからも、オーナーやヘルパーさん、他の旅人と遅くまで喋っていた。
昨夜とはまったく違う、人との交流のひととき。
明るい部屋のなかで、雨に濡れず、人と喋れるということが、奇跡のように思えた。
3日ぶりのシャワーの幸せ。お布団の幸せ。



朝のコインランドリーでの時間つぶしのおかげで、ヤマさん、リクくんとペースが合った。
シロさんの身内の不幸のおかげで、菅笠を買えた。このゲストハウスに再訪できた。

人生万事塞翁が馬。
お遍路には色んな濃いことが起きる。でも、一喜一憂せずに受け入れて、流されていけばいい。

偶然とは思えないことも沢山起こる。
すべて弘法大師さんの計らいか…。

わはは、酔いがかなりまわってきたようです。
今夜はこのへんで寝ますね。明日は早朝6時前には出発すると思うので、そっと出ていきますわ。
オーナーさん今日は急な予約でしたが、ありがとうございました。またいつか来ますね。

では、おやすみなさい。

12日目


煩悩遍路11日目「雨」―修行の道場―

11日目


早朝、シロさんとは別れ、ぼくは単独、27番札所神峯寺へと向かった。
時刻はまだAM6時過ぎだ。急な山道には人っ子一人いない。

暗い道を一人で歩いている。昨日までの天気から一転、今日は薄曇りだった。
連日の長距離歩行で、朝から脚も肩も痛みが走る。



シロさんのことを考えていた。
彼は、良い人だ。
でも、悪い人だ。

良い人、悪い人って、なんなんだろう。
人間は色んな側面を持って生きている。簡潔に「○○な人」と表現なんかできないんだよなぁ。

ぼくも、良い人であり悪い人である。
明るい人であり暗い人である。
健康で病気である。

人って何なんだろう。

結論の出ない問答をひたすら脳内で反芻し、
山の上のお寺に着く頃にはすっかり消耗しきっていた。



朝一番でのお参り。
と、そこに車遍路の老夫婦がやってきた。

沈み込んだ心を、おばちゃんの笑顔が癒してくれた。
助かった、と思った。

その夫婦は、今回で4回目のお遍路らしい。

「友達からはどうしてそんな何回も同じことをするの?と聞かれるけど、
何回もしたくなる不思議さがお遍路にはあるわよ」

「あなたも、八十八ヶ所一周まわったら、違う自分に会えますよ」



同じ道を引き返し、下山する。
途中、昨日のヤマさん、一昨日のリクくんとすれ違った。
今日はあの2人が一緒に歩くことになるのだろうか。

どちらにせよ、彼らに追いつかれることはないだろうな、と思った。



お遍路ではじめての本格的な雨が振り始めた。
レインウェアを来て蒸し蒸し感じながら海岸沿いの単調な自転車専用道路を歩く。

まっすぐで、海ばかりで、街からも離れていた。

この日、ぼくはほぼ誰とも喋らず10時間を歩いた。
暗い空を見上げ、雨粒が顔に当たる。
繰り返し、繰り返し、悩んでいた。
良い人、悪い人ってなんだろう・・・。

お遍路に来て、却って煩悩が増えてしまったようだ。

結局、室戸岬でのお兄さんが言っていた通り、人と比べるから悩みが増えるのだ。
人は人、自分は自分。
人と比べて、自分の出来なさに嘆いたところで何になろうか。
ましてや、シロさんは40ちかく歳が離れているというのに。



脳みそはもっと本質的な問答へと堕ちていっていた。

本当に好きなものって何だ?
ぼくはアウトドアが好きだ、お遍路が興味ある、歩くのが楽しい。
…と、思っていたはずだ。

でも、この雨、この悲しみ、この孤独、この単調さ…

好きなものって、好きだと思い込んでいる、或いは思い込まされているだけなのではないか?
それをして、人から褒められるのが嬉しいだけなのではないか?
褒められるために好きだと思い込んでいるのではないか…?



止まない雨、誰とも会わず、車には水をはねられる。
安芸の土地特有の、黒い砂浜。
その日、色という存在を感じられなくなっていた。
モノクロな世界だった。

「バカヤロー!」

つまんない漫画みたいに、ぼくは海に向かって叫んだ。
ぼくの叫びは誰にも聞かれることなく、雨と波に飲み込まれた。
視界の及ぶところ、前後左右、すべてに人がいなかったから恥ずかしくなんかないぞ。



この日の夜は、道の駅Yの端の端の軒下。
テントに潜り込む。
聞こえるのは雨の音か、波の音か。

ウォークマンのイヤホンを耳にさし、
さみしさを紛らわせた。

ひとりテントの中で、一日分の悲しい自慰をした。



煩悩遍路10日目(後篇)「夜話」―修行の道場―

民家から少し離れた空き地にテントが2つ張ってあった。
あたりはすっかり闇に包まれ、肌寒い空気が漂う。

昨日出会ったばかりの若輩に、妻子持ちのおじさんがその性事情を語っていた。

かなしいかな、男という生きものの、その減数分裂により生成される生命の根源は、
日常的に溜まっていくばかりである。
それをいかにして発散するかは、その人の生き方に大きく影響されるし、影響を与えもする。

むなしくも、パートナーとの対人的発散は、結婚したとしても永劫続くとは限らない。



シロさんは、中年と呼ばれる年齢くらいから、それを別の人を対象に実施し始めたらしい。

シロさんはかっこいい。モテてモテて仕方がないらしく、
これまでに何人か同時進行で事を進めていたこともあった。

「でも、一人がいいよ。楽だし、いまは彼女のことを本当に好きなんだ」



シロさんはお酒をどんどん飲む。酔った顔がヘッドライトでかすかに見えた。
嬉しそうな、そして悲しそうな顔だった。



ぼくはドキドキしていた。
話には聞いていたその手の人が、しかも現在進行中の人が、目の前にいるのだ。

ぼくはシロさんが好きだ。アウトドアなんでもこいのスポーツマン、声もいいし、優しい。
おまけにインドアも得意で、ぼくと共通の趣味も多い。

恋心、背徳感、絶望感、嫉妬心、羨望、いろんな感情がまざりあって、
ぼくは錯乱状態になっていたのだろうか。

「シロさん…シロさん、」
「ぼく、じ、じじ実は…ゲ、ゲイなんです。同性愛者です」

後にも先にも、お遍路中にカミングアウトした人は、シロさんただ一人だった。



さすがにシロさんははじめ動揺していた。
全然そんなふうに見えない。いつから。どうして。親には言ったの。…。

しばらく質問されたあと、フッと笑ってシロさんは話し始めた。

「昔ね、スペインのサンティアゴ巡礼っていうお遍路みたいなものに行ったことがあってね」

「様々な国から老若男女が集まって、自然発生的にグループみたいな形で巡礼するんだ」

「そこでね、2人の若い男性が手を繋いで歩いてたんだよ。
はじめはおやっと思ったけど見慣れると全く気にならなくなってね。2人ともいいやつだった」

「だから俺は別になんとも思わないよ」

シロさんはぼくを拒絶することなく、受け入れてくれた。
心が夜空に染み込んでいくようだ。
嬉しかった。



気がつけば、暴露大会となっていた。

シロさんは、そのサンティアゴ巡礼で若い女性から四つ葉のクローバーをもらって
これはマズい(恋されてる)、と思って断ったというモテエピソードを、

ぼくは、初恋の中学の先生のことや、ぼくの経験談を。

「ゲイは、法的に結婚できない上に男同士だから、わりとフリーダムな面があって、
よくその手の話は聞くし、…自分もやったことあります」

「まあ男女カップルより緩いですね。それはどうなんだという議論も勿論あるけど…」



しばらく話に花を咲かせていると、ぼくの股間にテントが張っていた。
長旅をした経験のある人なら分かってくれると思うが、抜くタイミングがあまり無いのだ。

4日ほど溜まっていた。
好きな人と猥談をして、もう我慢ができなくなっていた。

「すみません、ムラムラが…(笑)ちょっとトイレで抜いてきます」
「おう、いってこい(笑)」

すっかりシモな話が自由にできる仲になっていた。
まさか、お遍路でこんなことになるなんて。不邪淫(十善戒のひとつ)とは何だったのだろうか。



トイレからの帰り、空を見上げると昨日と同じく満天の星空がまたたいていた。

「シロさん、星、今夜もきれいですよ」

雑巾のように使い古された表現ではあるが、
とてつもない大きな宇宙の下で、いち人間なんてちっぽけな存在だと思う。

旅をしよう。色んな人の話をきいて視野を広めよう。
人生は短い。いつか死ぬのなら、好きなことをいま楽しもう。
色んな生き方があるんだよ…。

シロさんは、ぼくに語るように、そして自分自身を許すように、喋っていた。



2人ともわかっていた。
それが自身の行為を正当化するが故の戯言でしかないってことを。

でも、それでもいいんじゃないか。
正しくないけど正しいこと、は、ある。そんな気がした。



「君と俺は似てるよ。君は、自分がマジメで優等生的だというけれど、
本質は俺と一緒だと思うよ。考え方も、趣味も…」

「何かきっかけがあれば、殻を壊せるかもしれないね…それはきっと
君の人生を豊かにしてくれる」

人に何を言われようとも、自分の人生だ。好きなことをしよう。



もう時刻はてっぺんを過ぎていた。
翌朝も早い。夜話はお開きだ。おやすみなさい。



隣のテントから、シロさんが電話している声が小さく聞こえた。
「…愛してるよ、おやすみ。チュッ」



ぼくはその晩、なかなか寝付けなかった。
あまりに生々しい夜だった。

10日目(後篇)


煩悩遍路10日目(前篇)「再会と疑念」―修行の道場―

10日目(前篇)

室戸岬に新しい朝が来る。現在時刻、AM5時前。

6月とは言えアウター無しではいられない寒風の中、海岸へと赴いた。
さあ、御来光だ。

世界が輝きだした。
動物たちの声が聞こえ始める。

おはよう、世界。おはよう、四国。



7時半、宿を出発。
自転車旅をしているおじさんから、お遍路さんと同じ宿に泊まれるなんて滅多に無いから
記念に写真撮ろうよと誘われた。
そんなに珍しくは無いと思うんだけどな(笑)



海岸沿いを北西へ歩く。
地形は相変わらずダイナミックで、海、道路、山が近く、そんな道がずっと続く。

断面図はこんな感じ↓

             
          / ̄ 
       人 / 山 
 ~~~~「 ̄ ̄ ̄    
   海    道     


途中で歩き遍路の男性と出会い、一緒に行動することになった。
ヤマさんと呼んでおこう。

30代後半の彼もまた区切り打ちで、今回は高知一国参りが目標だと言っていた。

2日連続で旅の同行者がいてくれるのはありがたかった。
何気ない会話が楽しい。

今日もまた快晴で、日陰もなく暑いけれど、
お互いの身の上話をしたり、これでのお遍路の出来事を言い合ったりと、飽きなかった。
途中、昔ながらの町並みが保存された地区があって、ちょっとした物見遊山気分で
歩くことが出来た。炭でできた風鈴、欲しかったなぁ。でも荷物はなるべく増やしたくない。



昨晩美味しいものを食べ、しっかり寝たせいか、足の調子がすこぶる良く、
若干の“ウォーカーズ・ハイ”状態になっていた。
今にも走りたくなるような感覚。走りはしなかったけど。

一方ヤマさんはそこまで快調でもなく、ちょくちょく休憩を取りつつ歩いた。

夕方歩き終えたときに
「君と一緒だったおかげで今日歩ききれたよ、ありがとう」と言われたけど、
思えば、ぼくも、ヤマさんのおかげで無理なくしっかり休みながら歩けたのだし、
何より精神的に色々と助かったのだよな。

お互いがお互いの支えになる。
そんな、人と人とのつながりを改めて認識させてくれる。



夕方、2人ともバテバテの状態で奈半利町の街中に到着。
ひさびさにコンビニを見て、駆け込む。飲み物などを買ってしばし休憩。
あの時ほどコンビニが神々しく見えたことは無い。

そこから更に川を越え、田野町に入る。結局30キロ近く歩いた。

ヤマさんは近くの宿に泊まるとのことで、ここでお別れ。
また会った時よろしくお願いしますね、と。



ぼくは今夜は道の駅Tにてテントを張るつもりだった。
従業員にも許可をいただき、準備万端。

まず近くの温泉にいってさっぱりしてからスーパーに買い出しかなぁ…
ぼんやりと座っていた。



…そういえば、昨日のシロさん、今日はどこまで歩いたんだろう。
足が速いから、きっとかなり先に行ってるんだろうな。

思い切って電話しちゃえ。

「プルrrrrr、あ、もしもし、昨日一緒にあるいたちかひらです。今日は暑かったですね。
お借りしてる帽子、役に立ってます」

「いや、シロさんはどこまで歩いたのかなぁと思って電話したんですけど…。
わー、もうそこまで行ってるんですね、さすがです」

「あーぼくは道の駅Tにさっき着いたので、ここでテント張ろうかなと思って
いま休憩中なんですよ」

「そうですね、明日は天気悪そうですが頑張りましょう、また高知に着いたら連絡しますね。
ではでは、ガチャン」

今日もシロさんの声が聞けた。それだけで心が弾んでいた。
なんだか急に一日が終わった気がして、力が抜け、
温泉に行く気はあるのだが、くったくたになった足がなんとも動いてくれないご様子。

しばらく地図やスマホを眺め、明日の行程を考えていた。



車が目の前に止まった。

「おーい、ちかひらくん!」
「!?????」

車から出てきたのは、シロさんだった。なぜここに?
夢かと思ったが、頬をひねっても痛くない。

どうやら、シロさんは今夜野宿しようとしていた場所附近で食料調達しようとしたが
スーパーが見当たらず、近所の人に尋ねてみたところ、
ありがたいことに、車でスーパーまで連れてってもらえることになったそうだ。

そのスーパーが、たまたまぼくが居た道の駅の近くだったので、
わざわざこの場所に寄ってくれたのだ。

嬉しかった。
ぼくのことを気にかけてくれているということが、嬉しかった。

「どうする?一緒にスーパー行ってさ、良かったら今夜は一緒に野宿しようよ」
「え、いいんですか?温泉行こうと思ってたけど…どうしようかな」
「昨日民宿で風呂入ったんだろ、今夜はいいじゃないか」
「それもそうですね、じゃあ行きます!」



ぼくが直前にシロさんにちょうどいいタイミングで電話したことと、
シロさんがお接待で近所の人にスーパーまで連れてってもらえることになったこと、
そのスーパーがぼくの居た場所のすぐそばだったこと、
これら独立した事象が奇跡的に重なって、ぼくはシロさんとまさかの再会を果たした。
こんなことって、あるんだね。

ありがとう、弘法大師さん…。
(不純な意味で)感謝しかないです。

そうしてぼくは、親切な地元の方の車お接待に便乗し、スーパーで夕飯を買い、
そのまま数キロ先の、シロさんが見つけた野宿ポイントまで向かった。



車の中で、ぼくはちょっと考え事をしていた。



シロさんはどうしてこんなにもぼくに親しくしてくれるんだろうか。
ぼくにかまってくれるのだろうか。
どうして野宿を誘ってくれたのだろうか。

昨日の歩いている途中に掛かって来た電話が気になっていた。
電話の向こうの声は聞こえなかった。
けれど、普通に考えると、おそらく、女性で、愛人的な存在だろう。

でも、もしシロさんがゲイで、電話の向こうがゲイ仲間だったとしたら…?
いやいや、結婚してるじゃんと思われるかもしれないが、既婚ゲイという存在は少なくはないのだ。
そして、今夜はぼくを狙おうとしている、という可能性もゼロではない。

四国遍路に関する書籍やマンガ、ウェブサイトなどでよく目にする、「ホモが出る」の記述。
信憑性は定かで無いが、そうした被害が出ている、らしい。
「あそこはホモが2人いるから野宿しないように」といった噂話を
他の歩き遍路から聞くことも実際にあった。

他ならぬゲイ当事者として、意識せずにいられない事柄である。
シロさんがゲイという可能性も、無きにしもあらず、なのではないだろうか…と。



と言いつつも、仮に噂話通りのホモに出くわしたとして、
ぼくもゲイなので、まあ何とかなるだろうというか、心の余裕はノンケよりはあるというか、
むしろシロさんがそうだった場合、ドンと来いというか、
そういうふうに思っていたりした。

…ただの変な妄想野郎である。
うーん。



さて、車に乗ること15分程度で、野宿ポイントに到着した。
それぞれテントを設営し、夕飯を食べ始める。
夕焼け空は赤く染まっていた。

「基本、毎日テント泊ですか?」
「そうだね、テント好きだから。風呂も特に好きじゃないから、水タオルで十分だよ」
「たくましいなぁ…」

シロさんは早くも缶ビール2杯めを飲み始めた。
夕飯を食べ終わってからも、趣味の話や体力の話、アウトドアの話など、話題は尽きなかった。



「そういえば、高知に着いたら本当に家に泊めていただいてもいいんですか?」
「もちろんいいよ、ぜひぜひ。ちょっと妻に確認してみよう」

シロさんは奥さんに電話をかけたが、出なかった。友達と飲んでいるらしい。
ちょっとした間のあと、シロさんが急に低い声で話し始めた。

「そうそう、ちかひらくん、お願いがあります」
「何ですか?」
「昨日、たまにかかってきてたあの電話のこと、妻の前では話題にしないでほしくて」
「ははあ・・・愛人、ですか?」
「まあ要するに・・・その、“彼女” がいるんだよ・・・」


気づけば、お互いの顔が見えないくらいに夜が迫っていた。


「・・・セックスレスって、分かる?」


―後篇へ続く―


煩悩遍路9日目(後篇)「縁を掴んだのは君だ」―修行の道場―

9日目(後篇1)

民宿Mの晩ごはんは海の幸だらけのとっても豪華なものだった。
カツオ、鯨、チャンバラ貝…とにかく全てがおいしい。

「この宿は当たりだねぇ!」
その日の宿泊客はおじさん2人(お遍路ではない)とぼくの3人。
3人とも、絶品料理に舌鼓を打ち、女将の饒舌なトークを楽しんでいた。


19時になった。
「今日の日没は19:10でしたよね?」
「そうね、あ、でもこれは完全におひさまが海に沈み終わる時間だから…」
「え、じゃあ急がないと!!行ってきます」
ぼくは、室戸岬からの夕日と朝日を見るためにこの宿に泊まったのだ。



急いで宿を飛び出した。空はすでにオレンジに染まっていた。

室戸岬の先端の山(盛り上がり)に隠れ、太陽は見えない。
もう沈んでしまったか…?疲れた足を懸命に持ち上げ、全力で走る。

数秒後、岬の西側に抜けた。

澄んだ空の遠く、海の上に、赤く、黄色い、輝く太陽が見えた。
スピードを緩めず、道路の西の端まで向かった。



「はあ、間に合った…」

そこには一人、スーツにワイシャツのお兄さんが佇んでいた。
この場所には不釣り合いな恰好だった。

「こんばんは、夕日、綺麗ですね」
「ああ、こんばんは、いよいよだね」



日没、それは、普段は意識しない太陽の動き、時の流れを
身体中で感じることのできる特別なひとときだ。

刻一刻、めまぐるしく空の色は変わり、太陽はおちてゆく。

無言でその様子を見ては、カメラにおさめ、目に焼き付け、溜息をついた。
ぼくは、この先、あの日の沈む先に向かって歩いて行く。
ここからは見えもしない、途方も無い距離を。

「終わっちゃったね…」
「終わりましたね」



「お兄さんは、スーツですけど、お仕事か何かですか?」
「うん、出張でね、全国を回ってるんだけど、各地で夕焼けを見るのが趣味なんだよ」
「いい趣味ですね」



太陽が沈んだあと、青とオレンジと紫の暗くも鮮やかな空と海を見ながら
2人は自然と話しこんでいた。



「ぼくは歩き遍路してて、お察しの通りとは思いますが休職中でして。鬱になっちゃいましてね」
「鬱かぁ、俺の職場にもいたよ。そいつは溜め込み過ぎて、
取り返しの付かないトコまで行っちゃったけど…」



「ぼくは完璧主義がたたってしまったんです。
先輩と自分とを比べてしまって、出来てない自分が情けなくて、
落ち込んでしまって。経験年数が違うんだから出来なくて当然なんですけどね」

「自分がいまの職業に向いてないんじゃないかと思って、
転職のために色々と勉強したり動いてた時もあったんですが、
どうしても周りや親の目が気になるし、
そもそもそんな冒険をしてしまっていいのかなと不安になってしまって」

「全然仕事できないし、迷惑しかかけてないと自分では思ってたんですけど、
休職する際上司から言われたんです、君は3年目にしては100点だったよって。
それならはじめから言ってよって思いましたけどね、ハハ」



気がつけば、海を見ながら、横にいる名も知らないお兄さんに悩みを吐露していた。
お兄さんもまた、同じく海を見ながら語りかけてくれた。



「やりたいことがあるなら、すぐやったほうがいいよ。
俺の父はね、歳いってからだけど、バイクで旅でもしたいって、言ってたんだ。
でも父は、お金もそんな余裕はないし、もう少ししてからでいいかなって、
バイクを買わなかったんだ。
そしたらね、そのあとすぐ病気になってしまって、一気に衰弱してしまってね。
結局バイクに乗る夢を実現できないまま逝ってしまったんだ」

「こうして急に父に逝かれてしまってね、生前そんなこと言ってたもんだから、
ガーンと来るものがあったんだよ」

「人はいつ死ぬか分からない。やりたいことがあるなら、すぐにでもやったほうがいいよ。
そしてなにより、早ければ失敗してもやり直せるんだから」

「俺はもう40代だし、家庭もあるから、大胆なことはできない。
でも、いまの環境下で、最大限のやりたいことを自分を信じてやってるよ。
その結果、営業の成績はずば抜けてトップなんだ」

「だからね、まだ道を大きく変えられる可能性の残っている若い人には、
やりたいことをやってもらいたいんだ。
若さは、他のどんなことよりも価値がある。それを若い人に知ってほしい」

「そういう意味でも、君が今、その歳で、やりたいと思った歩き遍路をしてることは、
すごく意味のあることだと思うよ」



空の青はすっかり濃さを増し、波の荒い音が2人を包んでいた。



「あと、君は人と比べて落ち込んでしまうと言っていたけど、それはナンセンスだ。
さっき言った通り、人はいつ死ぬか分からないし、人それぞれ与えられた才能も環境も違う。
人は平等じゃない」

「そんな不条理な人の世で、人と比べて、もしくは人から比べられて、
上司からほめてもらって、それには何の意味もないよ」

「俺は、人に依存せず、自分のことは自分で褒めてるんだ。
自分がやれる人間だってことは、自分が一番知ってる」

「君は実際の実力よりも自分を低く評価しすぎてるんじゃないかな。
10のうち3できたら、3できたことを喜ぼうよ。10できなかったことを嘆いてちゃ駄目だ」



「たいていの心配事は起こらない。行動したほうがいいよ」



この日に、たまたま夕日を見ようと出かけた2人が
たまたま同じ場所に来て、会話をした。

たまたま人生に悩んでいるぼくが、たまたましっかりとした人生哲学を持つ人と話ができた。
偶然にしては出来過ぎている。



「お兄さんと話してると、偶然なのに、会うべくして会ったというか、そんな気がするんです。
いまお遍路中なのでそれらしいこと言いますけど、弘法大師さんが作ってくれたご縁というか…
もはやお兄さん自体が弘法大師さんなんじゃないかって気持ちすらします(笑)」



「ははは、そう思ってもらえると嬉しいよ。でもね、1つ君に知ってほしいことがあるんだ」

「日没のとき、君が走ってきて、ここに止まって、ニッコリと挨拶しただろう。
初対面だったけど、その顔を見て、気が合いそうだと思って、俺も話ができたんだ」



「…縁を掴んだのは、君だよ」



真っ暗になった岬の先で、2人は握手をし、別れた。



もろもろの寝る支度をし、ライトを持ってぼくは改めて宿を出た。
岬の先端、小さな岩が敷き詰められた海岸に寝転び、空を見上げる。

星空の美しさに息を飲んだ。
どこまでも続く太平洋。空と海の境目が分からなくなる。

弘法大師空海も、この夜を見たのだろうか。
この変わらない波の音の下で。



異なる軌道を走る2つの星。たまたまの並走区間を終え、今後再び会うことはない。
けれど、片方の若い星は、確実に従来とは異なる軌道を進もうとし始めていた。

9日目(後篇2)



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