煩悩遍路31日目「はじめから、決まっていた。」―涅槃の道場―

31日目(1)

「お遍路さん~!」
準備中のお店やさんのおばちゃんが後ろから大声で呼びかけてきた。
朝から飲むヨーグルトのお接待。
久々に青空が見える。今日も良い日になりそうだ。

歩いて一時間ほどで70番本山寺に到着。
五重塔は平成の大改修をしているらしい。
平成の大合併と並んで声に出して読みたい日本語。

納経所に行ったものの、人がいない。
何回か横にある鐘を鳴らしたりしたけどうんともすんとも…
その場に居合わせた車遍路のご年配の夫婦と苦笑いをしつつ、
大声で呼び出しまくっていると気づいてくれた。
そのやりとりが妙に面白く、記憶に残っている。



ここ三豊市は俳優の要潤のふるさとらしく、
写真と肩書(うどん県副知事、三豊ふるさと大使)付きの大きな看板が建物の上にあった。

というわけで沿道にあったこがね製麺所でうどんを食す。150円。
今後はうどん屋さんを見かけたら時刻関係なく入っていくスタイルに。



早咲きの向日葵を横目に、山に向かってなだらかな坂を登る。
11時半に72番弥谷寺に到着した。
観光客としてではなく、歩き遍路として。
2年半前のスタート地点に繋がったんだなぁ…。

一度来たことのあるお寺でも、遍路として来るとまた違った思い出となる。
大師堂は岩をくり抜いたような洞窟状になっていて、情緒ある場所だったし、
階段ばかりの境内も、他の札所と比べると特殊なんだなと思った。
いや、そもそも前来た時は大師堂なんて名称すら気にもしてなかったよな。



あの冬の日と同じ山道を歩く。
所々見覚えのある景色がある。

遠方に讃岐富士が見えた。香川に来るたびに見たし、2回登った山。
あの山を見ると香川に来たなと思う。
ぼくにとってすっかり馴染みの土地になった。



72番曼荼羅寺を抜け、73番出釈迦寺へ。
今回も捨身ヶ嶽禅定まで登る。
麓の納経所で荷物預かりますよと言われたけど、なんとなく修行のつもりで担いできた。
汗がとまらない。

前回は雪で諦めた、その先の岩場にも挑戦した。
…ロッククライミングかよ。
思った以上に険しいし、15kgのザックと暑さと湿気がきつい。
正直、ここはザック担いでくる場所じゃない。

自分で勝手に無茶して自滅しそうになるパターンをまたやってしまう自分が嫌になる。
こういうのをもっとテキトーにできるようにしていかなければと思った。

雨が降れば青空が見たい、晴れたら暑いのは嫌だ、登ればキツい、と言う。
人間、そんなものか。
でも、降りてきた時のそよ風の涼しさが心にしみる事実もある。

そんなことをメモ帳に書きとめながら、
熱中症寸前だったぼくは納経所のクーラーで涼ませてもらった。
ぼくを見かねてか納経所の方がお茶でも買ってねと200円接待してくれた。
その分と併せて、ペットボトル2本を一気に飲み干す。



出釈迦寺で予想以上に時間をくってしまった。
74番甲山寺に着いたのが16:30。
今日中に善通寺まで打っておきたかったが、納経のタイムリミットまであと30分だ。
距離は1.6km。さて間に合うか。

ゆっくり歩いていたじいちゃん遍路は善通寺は諦めて今日は甲山寺で打ち終わるという。
頑張ってみます!と宣言して、ぼくは善通寺へと向かった。

見覚えのある町並。見覚えのある道路。見覚えのあるうどん屋さん。
急ぎ足で駆け抜けてゆく。
そして、ぎりぎりのタイミングで75番善通寺に到着。

4回目にして、やっとお遍路としてやってきました。
そう報告して、静かになったお寺をあとにした。



17時半、ゲストハウスKを訪れた。
宿泊するのは5回目。宿泊日数でいうとたぶん7泊目。
この宿に歩き遍路として来たんだという不思議な気持ちがする。

お遍路をしてきたからこそ分かる、この宿の素晴らしさ。
そして「帰ってきました」という故郷のような感情。
前回来たときに言った約束、果たせましたよ。「次はお遍路として来ます」と。

今回もまた、家族総出で迎えてくれた。
仕事のことも色々気にかけてくれているし、お遍路での経験も聞いてくれた。



買ってきた夕飯を食べていると、2階から降りてくる聞き覚えのある男性の声が。
なんと、愛媛の内子で一緒に鯛めしを食べた100日遍路のマサさんだった!
3日前民宿Oで名前を聞いて以来、そのうち追い抜くかもと思っていたが、
まさか宿で再会するとは。
ご縁ですなぁ…。

「君もかなりゆっくり歩いてたんだねぇ」と言われたけど、
「ぼくは2週間家に帰ってました(笑)」というオチ。

マサさんも含めてお遍路話に花が咲く。
笑顔がいつまでも続く夜だった。



旅先では、どうしても出来事に意味づけをしてしまうものらしい。

思えば3年前、四国一周スケッチ旅の最初と最後の宿がここだった。
あの旅で、一人の長旅の楽しさを知った。

次の冬の宿泊では7ヶ所まいりをすることになった。
オーナー夫婦には沢木耕太郎の『深夜特急』という本を教えてもらった。
26歳は旅をする年齢だ、と作者は書いていた。

そもそも四国に旅をするきっかけをくれたのは宮田珠己の『だいたい四国八十八ヶ所』で、
まさに遍路ド直球の本だった。


偶然のことも、自分で選んだこともある。
でも、ぼくが「26歳」で「歩き遍路」をするという未来が、
あの日にこのゲストハウスに泊まった時に確定していたのかもしれない。
すべてははじめから決まっていたのだ。

このゲストハウスとの出会いも、七ヶ所まいりも、本も、就職も、部署異動も、鬱も、休職も、
すべてがこのお遍路実現の未来へと収斂する…。



きっと現実には、
上で羅列した以外にどんな出来事があったとしても、お遍路は実現させたのだろうとは思う。
深層心理でずっとお遍路がしたいと思い続けていたから。
その実現手段や形は何であれ、人は生きたいように生きている。



連泊することにした。明日は雨だし、休養日にする。
「涅槃の道場」2日目は、幸せな感情に浸りながら終わった。

遍路旅の残り日数は片手で数えられるほどとなっていた。

31日目(2)


煩悩遍路・番外篇「雪の七ヶ所まいり」

EX日目

2013年7月末。
学生最後の夏休み。

大好きな旅エッセイスト宮田珠己の『だいたい四国八十八ヶ所』に影響を受けたぼくは、
研究の合間を縫って、気まぐれひとり旅をしようとしていた。
行先は未踏の地、四国。
ついでにスケッチもしてみよう。スケッチ旅なんて、楽しそうじゃないか。

香川から始まったその旅は、電車やバスで各地の民宿やゲストハウスを繋いでいく。
はじめての土地、はじめてのひとり旅。
うどん、瀬戸芸、祖谷渓、お遍路さん、渦潮、室戸岬、カツオ、龍馬、
鍋焼きラーメン、道後、村上水軍。

絵を描いていると色んな人から話しかけられた。
ゲストハウスでは色んな人と交流できた。色んな人生を垣間見た。
旅の素晴らしさに浸りまくった2週間だった。

スケッチ旅の様子↓
<http://dimensionf.web.fc2.com/landscape.html>




2014年2月中旬。
あれから半年が経った。
修士論文の発表が終わったぼくは、香川の善通寺市にあるゲストハウスKを再び訪れていた。
半年前の旅で、初日・2日目と最終日にお世話になった宿。
ひとり旅ビギナーだったぼくにとって、この宿ははじめてのゲストハウス体験の場でもあった。

今回も一家揃って歓迎してくれた。
夏の旅はここから始まったんだよなと思い出して、その居心地の良さに改めて笑顔になる。
閑散期ということもあって、2泊とも宿泊客はぼくひとり。

オーナーに翌日することの相談をする。
うどん屋さんは今日何軒か行ったし、讃岐富士も登ったし…と言っていると
歩くの好きでしょう、と「七ヶ所まいり」を勧めてくれた。
それは、ここ善通寺近辺にある霊場七ヶ所(71番から77番まで)を1日で巡礼するというもの。
プチお遍路体験か。面白そうだ。



翌朝、弥谷寺まで車で送ってくれた。雪が積もっている。
「このへんで積雪が見られるなんて何十年に一回やで」と肩を押してくれた。
いっちょ歩いてきます!

雪の弥谷寺は黒い緑に包まれ、神聖で厳かな雰囲気だった。
迷路のように階段が張り巡らされた境内を歩く。

そこからは山道に逸れ、曼荼羅寺へと向かう。
地図は持ってないが、遍路道のマークがあるから迷わず行けるよ、とオーナー談。
たしかに、至る所に赤いマークがある。こんなのが四国中にあるんだ。

曼荼羅寺にはバスのお遍路さんの団体さんがいた。お経の声量がさすがで、圧倒される。

出釈迦寺の奥の院として、山の上に「捨身ヶ嶽禅定」がある。
山と聞けば登らないわけにはいかない。
…と登ったはいいが、傾斜のきついコンクリ道で、しかも雪が5cmは積もっている。
滑るのを用心しつつ、上まで辿り着いた。
眼下には善通寺市街が一望できた。凄いところに来ちゃったなぁ。

さらに奥には行場があって、岩肌が露出していた。
さすがに生命の危険を感じたのでその先はやめておく。また季節のいいときに来ればいい。

そこからは甲山寺、善通寺、金倉寺、道隆寺と順にお参りしていった。
途中にあるうどん屋さんにも4軒寄った。
7~8時間かけてフィニッシュ。膝がガクガクだが、歩くのって楽しい。

お遍路の恰好もしてないし、読経も納経もしてない。
地元の人と何かしらの交流をしたわけではない。
でも、遍路道を歩いてみて思うことがあった。

国道や県道の他にパラレルな存在として遍路の為の道があって、
しかもこの道が四国を一周しているなんて、不思議だし、すごい。
半年前に四国各地で出会ったお遍路さんはみんな、この道を通ったんだな、と。

今日以上の距離を毎日40日以上歩き続けられるか、というのは置いといて、
いつか自分もお遍路をやってみたいなと思った。いつか…



夜も、オーナー夫婦と旅の話をずっとしていた。
半年前のぼくの旅の話。むかし2人が旅した国の話。この宿に泊まる人々の話。

その話の中で、沢木耕太郎の『深夜特急』という本を紹介してくれた。
ユーラシア大陸をデリーからロンドンまでバスだけで旅をするという、
作者の実体験を元にした酔狂な旅物語。

一昔前に日本中の旅人の間で大ブームとなり、真似してアジア放浪旅をする人も多かったそうだ。
いまでも旅人のバイブルとして読み継がれている。



つい半年前まで縁のなかった「旅」。
いまやどっぷり旅の魅力に取り憑かれている自分がいた。
でも、こうしてまた旅に出てきて、旅の先人たちと交流している時間が何よりも楽しかった。
もっとのめり込んでもいいのかもしれない。

半年前の旅の最終日、
このゲストハウスに同泊していたガチの放浪おじさんから言われた言葉を思い出す。
「君はいつか会社辞めるよ。もう旅の病気にかかってる」
旅病という言葉を知ったのもその時だった。


旅帰りの電車の中で、真っ暗な車窓を眺めつつ、早速買った『深夜特急』を読んだ。
かなり毒気のある物語で、その独特の世界観に引き込まれていく。

1巻の巻末の対談で、作者は26歳のときにはじめてこの外国への旅をしたと語っている。
対談相手もたまたま26歳ではじめて外国に旅をしたらしい。

26歳くらいが外国へ「旅」をするのにちょうどいい年齢だと言っていた。
もちろん、自分達の経験を正当化するため(と彼らは言っている)という側面はあるけれど、
いち読者としてはその年齢が輝いて見えたのだった。



26歳の旅か…。その時ぼくは何をしてるんだろう。

七ヶ所まいりを終えたぼくは、頭の片隅に四国遍路という瘤を抱いたまま、
その春、就職した。

24歳の時のことである。


煩悩遍路30日目「もしも」―涅槃の道場―

30日目(1)

7月11日(月)。旅はついに30日を超えた。

人生には数多の分岐点がある。
どの選択肢を選ぶかで、その後の道は変わる。
その道の先にどんな出会いがあり、何を考え、思うのか。

今日は色んな可能性、分岐、平行世界がある日だった。



朝の7時、民宿を出発する。
宿の主人と握手。「行ってきます!」

66番雲辺寺は標高910m。四国霊場最高峰である。
泊まった民宿が標高240mだから、そこから一気に標高を稼ぐことになる。

この急登がかなりきつかった。
傾斜30°以上あるんじゃないの?って思うほどのコンクリ道や、ほぼ直登の山道。
そして襲いかかる湿気ですぐバテバテに。
しばらくして車道に出たあたりで、同泊していたサンダル遍路の彼に追いつかれた。速い。


8時半に雲辺寺に到着。
霧がかって視界はゼロだったが、境内は広く、きれいに整備されていた。
奥の方に五百羅漢があって、その表情やポーズが豊かで面白く、見応えがある。
通夜堂もあってそこそこの人数が泊まれそうだ。
夜は寒そうだけど、次回来ることがあれば泊まってみたい。

ロープウェイ乗り場の手前に、ここ徳島県と香川県の県境があった。
ついに最後の県に来た。ここから「涅槃の道場」である。



長く緩やかな山道を下っていく。
サンダル遍路の彼はめちゃくちゃ歩くスピードが速いので、先に行ってもらった。

タオルが絞れるほど汗だくになりつつも、数種の鳥の鳴き声に癒やされる。
長ズボンだと正直言って脚が暑い。まくって半ズボン状態にしてみる。
民家の屋根付き駐車場のベンチを借りて、宿が持たせてくれたおにぎりで昼食タイム。
風がきもちいい。靴下を脱いで、汗で湿った足を干す。

麓まで降りて、ちょっと道に迷いつつも近所の人に場所を聞いて、無事に67番大興寺に到着。
納経所にてお坊さんが話しかけてくれた。

「あと少しで終わりですね」
「どんな心持ちで締めくくろうか悩んでて(笑)」
「楽しんで終われば良いんですよ。がんばってくださいね」

気が楽になる。



観音寺市を歩いていると、電柱に、善根宿の張り紙があった。
無料・要予約とのこと。今夜はここにお世話になろうと思い、さっそく連絡してみた。
どうやら事務所の一角を借りて寝られるらしい。

さて、寝場所の確保もできたし、ラストスパート、68番神恵院、69番観音寺を目指す。
この2つのお寺は同じ敷地内にあるという珍しいタイプ。

…歩いていると、道の先に車が停まった。
作業着のお兄さんが出てきて、なにやらこちらを見ている。
なんだろうと思ったら、なんと昨日椿堂でお接待をいただいたタケさんだった。
まさかの再会!

どうやら今日は仕事でここを通りかかって、ぼくの目立つ色のザックを見て、
昨日のお遍路さんだとひと目でわかったらしい。
少しの距離だが、お寺まで車に乗せてもらった。

車中で、昨日より踏み込んだ話をした。
十数年前、タケさんは製造業に勤めていたが仕事中にパニック障害になり、
少し休みをもらって歩き遍路をしたらしい。
それ以来多くの歩き遍路を見かけてはお接待をしている。
「鬱の人も多いよ~」と彼は言っていた。

タケさんはその後復職したが、結局環境が変わらないので再発し、退職。
その後職を転々としたようだ。
一時期はお遍路休憩所のお手伝いをしていたこともあるらしい。

「メンタル不調は旅先では回復するけど、日常に戻ったら結局同じだよ」
諦めたような口調でつぶやいていたのが印象的だった。



「今夜、よかったら俺んちに泊まらない?」と誘っていただいた。
しかし、既に善根宿の予約をしてしまっていたので、残念ながら断ることになった。

なにやらぼくのことを気にかけてくださっているようだ。
連絡先を交換して、ありがとうございましたと伝えて、お別れ。
地元の、お接待を日常的にやっている人との出会い。こんな縁もあるんだな。



お寺の奥の展望台からは、「銭形砂絵」と呼ばれる超デカイ寛永通宝の砂絵を臨むことが出来る。
写メを撮って携帯の待受にすると金運アップらしいので、100枚くらい撮っ(てない)。

大阪から来たという逆打ち区切り歩きのおっちゃんがいた。
仕事の合間をぬって打つため、なるべく一回に長距離歩くつもりでいるそうだ。
今日で5日目。ということはぼくもあと5日くらいで終了するということなんだな。
そんなぼくをおっちゃんは羨ましがっていた。

逆打ちの人との立場がお遍路をはじめた頃と逆転しているのが
なんだか面白くもあり、寂しくも感じた。
1日目の夜に出会った結願直前の青年の、あの遠くを見るような目を思い出す。
ぼくもこのおっちゃんからはあのような姿として映っているのだろうか。



香川といえばうどん。というわけで早速夕飯に讃岐うどんを食べて、その足で善根宿へ。
善根宿は、考えてみると2日目の夜以来である。
と言ってもあの善根宿は温泉併設の町営だし、
実質ガチの善根宿は今日が初めてっていうことになるのかな。

着いてしばらくすると管理人(というかそこの事務所の社長さん的なおっちゃん)が来た。
2階(屋根裏)で寝るもんだと思ってたら、クーラーのある1階に畳をしいて寝ていいよとのこと。
遠慮なく、クーラーを利用する。この蒸し暑い夜に本当にありがたい。

「お兄ちゃん仕事は何してるの?」
「休職してます」
「工場は興味ないですか?知り合いに大手の工場の社長がいるから紹介できるよ」

正直、ちょっと心が揺らいだ。
香川は好きな県だし。タケさんのようにお遍路と関わりながら生きていくこともできるし。

でも…

この旅で気づいた自分の素直な将来の希望がある。
住みたい場所。携わりたい職種。送りたい生き方。
それを伝えて、丁重にお断りした。

もしここでOKの返事をしていたら、あり得たかもしれない別の人生。
平行世界の産声がきこえるようだ。

でもそうした声をかけてくださるのは本当に嬉しかった。

「自分の身に起こるすべてのことは、自分の成長の為」
「歩き遍路は若いうちにするのがいいね。人生観が変わる人もいる」
「地元の人とのふれ合いを大切にしなさい」



今日は色んな可能性、分岐、平行世界を感じられた日だった。

もしサンダル遍路の彼のペースに合わせて下山していたら?
タケさんと再会はできなかっただろう。

もし善根宿を予約していなかったら?
タケさんの家に泊めてもらっていただろう。
その代わり、善根宿の管理人さんは勿論、展望台で大阪のおっちゃんにも会ってなかっただろう。

各々の平行世界でどんな出会いが、どんな会話があり、何を考え、思うのか。
選ばなかった世界のことは気にはなるけれど、考える必要はない。

あるのは、各分岐を選んだ現実だけ。
それを大切にし、それを最大限楽しむこと。


夜、タケさんからメールが届いた。
「きっと大師は今の君に必要な人間をこの旅の中で会わせているのでしょう。
長かった旅も終盤です。一歩一歩大切に。それでは明日も気楽に行きましょう」

30日目(2)



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